年始の箱根駅伝、青学大に敗れたものの戦前は“一強”とまで言われ、圧倒的な優勝候補だった駒澤大。その評判の裏にあったのは、分厚い選手層だ。有力選手が多いほど、実力者でも檜舞台に立てないケースは増えていく。「最後の箱根路」を逃した4年生の中には、1万mで27分台という超大学級の記録を持つ唐澤拓海の名もあった。周囲からは「天才」と評されることも多かった逸材が語った大学での葛藤とは?(全2回の1回目/2回目につづく)

 ふと発した言葉に、虚をつかれる。

「なんでだろう。なんで駒澤を選んだのか……。わかんない。なんで選んだのかな」

 駒澤大陸上部の寮で、唐澤拓海がうっすらと笑みを浮かべた。

 大学4年のラストシーズンが終わり、あとは卒業を待つばかり。大学生活を時系列に振り返ろうとした最中、冒頭の言葉が飛び出す。

「ただ、強くなりたいというのはあったと思います。中学も高校もほぼ遊びの延長というか、楽しくやっていて、大学では厳し目のところに行こうと。もう卒業を間近に控えた3月で、早く決めろって周りに急かされたのもありますね」

 よく言えば、泰然自若。少しのんきなところもあるのだろうか。

強豪校の中でもひときわ輝く「天才肌」

 唐澤は強豪・駒澤大においても天才肌で知られるランナーだ。

 5000mの自己ベストは13分32秒58でチーム内3位、10000mも27分57秒52と学生トップクラスの記録を持つ。箱根駅伝も2年生の時に1区を走り、区間2位の好成績を収めている。

 本来は主力の1人としての活躍が期待されたが、今年の箱根駅伝は出場できずに終わった。

 そのつまずきはどこから始まっていたのか。唐澤が入学当初からの記憶をたどっていく。

「自分たちの代は入学してすぐコロナでしたからね。遊びにも行けないし、授業にも出られないから、友だちがまったくできなくて。けっこう単位も落としました(笑)」

 陸上部員はほぼ例外なく寮に入る。中高は地元・埼玉の学校に通っていたため、仲間との共同生活も初めてだったという。

「1年生は掃除や仕事など覚えることが多くて、最初はただ怒られないようについていくのに必死でした。先輩たちからは『昔に比べると良くなった』とは聞くんですけど、正直、しんどかったです」

 ただし、競技になれば話は別だった。

 走る距離が延び、質も高くなる大学の練習で、壁を感じるルーキーは少なくない。だが、唐澤はあっさりと「練習でついていけないと思ったことはないですね」と話す。

 才能の非凡さ。多くの陸上関係者がそれに気づいたのは、彼が花咲徳栄高3年生の時だった。

 高校は陸上の強豪校ではなく、都大路(全国高校駅伝)にも出たことがなかったが、都道府県駅伝で埼玉県代表に抜擢。高校生区間の4区5kmを走り、7人抜きの快走で区間タイ記録を打ち立てた。

「陸上エリート」と言うよりはむしろ、自由な環境で伸び伸びと才能を育んできた印象だが、そもそも唐澤にとっての陸上競技とはどんなイメージなのだろうか。

「あまり特別感はないですね。箱根駅伝よりもバラエティ番組の方が好きだったりするので。でも、同じ埼玉出身の設楽(悠太・元東洋大)さんとかには憧れてました。誰ともキャラが被ってなくて、尖っているところが良いなって」

覚醒した2年時…関東インカレ「2種目で日本人トップ」

 大学生活にも慣れ、コロナ禍も少し落ち着き始めた大学2年の春、唐澤は覚醒する。

 初めて出場した関東インカレで、5000mと10000mの長距離2種目で日本人トップ。5000mでは同期の鈴木芽吹にも先着した。

 何かを変えたわけではない。ただ「調子が良かった」というのが彼らしい。2年生で初めて箱根駅伝の1区を任されたが、そこでも才能の片鱗が光った。中央大の吉居大和が驚嘆の区間新記録を打ち立てたが、唐澤も39秒差の2位につけた。

 一方で、自己評価は控え目だ。

「嬉しいというか、ホッとしましたね。1区で出遅れなくて良かったなって。(同級生の吉居に先着を許したが)ちょっと横に出たらもう影も見えなくなっていて、落ちてくるかなと思っていたら全然落ちてこなかった。僕もけっこう調子が良かったんですけど、それよりもずっと速くて。でも、その後しゃべったわけでもないし、その時はリベンジしたいとも思わなかったです」

 そういうところがダメなんでしょうね、と唐澤は苦笑する。

「感情が2年ぐらい遅れてくるんですよ。いまになってようやく悔しいというか」

「箱根は人をダメにするかもしれない」

 2年生までは順調な成長曲線を描いていた。ところが、3年目になると落とし穴が待っていた。春先に左膝を痛め、さらにアキレス腱も故障する。長期の離脱は1年近くに及んだ。

「もう色んなところを痛めすぎて、朝起きてから寝るまで痛いんですよ。多分、10カ月くらい走れなかったんじゃないですか。メンタル的にも落ちて、イヤイヤやっているうちに陸上が嫌いになってしまった。朝早くから起きて走るとか、意味があるのかなって。『なんだこれ』って思ってました」

 何のために走るのか――。根源的な問いかけに、答えを見つけるのは難しい。唐澤が自嘲気味につぶやく。

「多分、それって箱根を走ったからだと思うんです。それを1つの目標にして走っていて、それが叶った瞬間に、次の目標を見失った。普通の人は『区間2位だから今度は区間賞を取ろう』となると思うんですけど、僕の場合は1年も先だと気持ちがそこに向かないんです。言い方を変えると、箱根は人をダメにするかもしれないです」

 ケガを切っ掛けに心が折れ、5月から9月までの約4カ月間を実家で過ごした。

 外に出たのは、散歩をするときのみ。親友には悩みを打ち明けたと言うが、チームメイトには「声を大にして言うことではない」とあえて口をつぐんだ。両親もキツイ言い方はせずに見守ってくれたという。

 立ち直る切っ掛けはどこにあったのか。

「見返したいって言うのはあったと思います。箱根で優勝したチームが日テレの『ZIP!』とかに出ていて、チヤホヤされているのが気に食わないなって。そういう意味では燃費が良いんですよ。ほとんど劣等感で動いているので、焚きつけるものさえ見つかればすぐに燃えます(笑)」

 やや自己肯定感が低いようにも思えるが、お笑い芸人の若林正恭が好きと聞いて納得する。劣等感や自虐を抱え、その不満を糧とする。安易に世論と迎合しないのは、彼の強さとも言えるだろう。

 再び箱根駅伝を目標に定めると、唐澤の走りは加速した。

<後編につづく>

文=小堀隆司

photograph by AFLO