年始の箱根駅伝、青学大に敗れたものの戦前は“一強”とまで言われ、圧倒的な優勝候補だった駒澤大。その評判の裏にあったのは、分厚い選手層だ。有力選手が多いほど、実力者でも檜舞台に立てないケースも増えていく。「最後の箱根路」を逃した4年生の中には、1万mで27分台の記録を持つ唐澤拓海の名もあった。雌伏の時を経て最終学年で再び輝きを取り戻した「天才ランナー」は、最後の1年間をどう戦い抜いたのだろうか。(全2回の2回目/1回目から読む)

 故障で苦しんだ3年目の雌伏の1年間を経て、最終学年を迎えた唐澤拓海の走りは再び輝きを放ち始めた。

 最上級生となって、環境が変わった影響も大きかったのかもしれない。4月の日体大記録会で10000mを走って27分57秒52とあっさり自己ベストを更新。5月の関東インカレでも、10000mに出場して日本人トップ(4位)を奪った。

 前年、ほとんど練習を積んでいなかったことを思えば、やはりその才能は別格と言うほかない。「唐澤復活」と、誰もが期待したはずだ。

 しかし、本人にはちょっとした違和感があった。

「気持ち的には問題なかったんですけど、27分台を出した反動がけっこうあって、腰を痛めたり、風邪を引いたり。ただ、調整がうまくいかなくても、感覚が良ければ走れるんです」

「レース前にはカステラ」テンポよく食べられると…?

 その感覚については、独特の表現でこう説明する。

「これは本当の話なんですけど、レース前にカステラを食べるんです。コンビニとかで売っている3切れのやつ。それをテンポよく食べられたら調子が良い。内臓の問題なんですかね。2切れ目でもうお腹一杯とかになると、全然ダメなので」

 春先は調子が良かった。だが、夏になるとカステラが飲み込めなくなった。夏合宿に参加するも距離は積めず、大事なポイント練習を一度もこなせなかったという。

 秋になると駅伝シーズンが開幕するが、唐澤にとって最後の箱根駅伝はどうしても出たい大会だった。目標が近くなり、気持ちが入ってくると、自然と調子も上向いた。

 駒澤大は11月19日開催の上尾シティハーフマラソンをメンバー選考の大きな過程としていたため、唐澤はそこに向けて調整を図った。

 だが、箱根本番に向けてまさに試金石となったこのレースで、終盤に足が止まり173位と思うような結果を残すことができなかった。レース直後は「(箱根まで)残り1カ月しかないので、やれることをしっかりやりたい」と話していたが、内心では諦めに近い感情があったようだ。

「夏に距離を踏めていない時点で無理だなって。仮に上尾一本だけ走れても、信頼度がないですし、練習していないので無理だろうと。じつは上尾の当日はカステラもちゃんと食べられたんですけどね。レースの途中でお腹が痛くなっちゃって。やっぱり付け焼き刃では全然ダメでした」

 それでも、チームメイトは唐澤の復活を信じて待っていた。

 全日本大学駅伝で優勝した直後、キャプテンの鈴木芽吹は「唐澤も今は良い練習ができているので、箱根には絶対に間に合うと思います」と熱く語っていた。

藤田監督も「いわゆる天才ですね」と期待したが…

 11月下旬に藤田敦史監督に話を伺った際には、こんな言葉でメンバー入りすることに期待を寄せていた。

「力はありますからね。あとは(練習を)やっていない分をどこまで取り戻せるか。彼の場合は上がってくる速度が異常なくらい速いんですよ。いわゆる天才ですね。ですから、上尾で苦しんだとはいえ、ああいう選手は一回レースで感覚を掴んだらあっというまに上がってくる。そこはちょっと今後を見ながらかなと」

 改めて当時の心境を訊ねると、唐澤は力なくこう答えた。

「確かに、監督からは『お前の場合は練習していけば調子が上がるから』って言われました。そう言われて嬉しかったですし、普通は諦めないんですけどね。でも、体調も戻し切れていないし、『無理だろう』って。また自分の悪いところが出ちゃいましたね。あの時も2カ月遅れくらいで悔しさがやってきました。『あぁ、もっと足掻いておけばよかったな』って」

 最後の箱根駅伝はメンバー落ち。

 唐澤はサポートに回り、3区の佐藤圭汰(2年)の給水役を担った。1人で給水地点の藤沢へ向かう道中、こんな思いに駆られたという。

「間に合ったんですけど、電車を乗り間違えちゃって。急行に乗るはずが各駅停車に乗ったんです。その時、『メンバーに選ばれていたらこんなことしてないのにな』とか、『みんな頑張っているのになんでできないんだろう』って。ちょっとした後悔はありました」

「このメンバーで勝てなかったら誰が出ても勝てない」

 優勝候補の大本命だったが、駒澤大は2位。大会記録を大きく塗り替えた青学大に敗れた。自分が出場して優勝に貢献したかったとの思いはなかったのか。そう問うと、唐澤はきっぱりとそれを否定した。

「それは口が裂けても言えないなと思いましたし、思わなかったですね。正直、このメンバーで勝てなかったら誰が出ても勝てない。圭汰で無理だったら、みんな無理だったと思います」

 では、この4年間を振り返ったとき、どんな思いが胸に去来するのだろう。やりきった充実感と、やり残した未練。どちらの思いがより強いのか。

「色々ありすぎて難しいけど、すごいデコボコでしたね。2年目は良くて結果も残したけど、3年目は実家に帰った。その何カ月後かには27分台を出して、結局、最後の箱根は走れなかったり。最後は勝って、『ZIP!』には出たかったですけど(笑)」

 ただ、駒澤大の寮で過ごした4年間、それはやはり特別な時間だったという。

「ほんと支えられてばかり。先輩もそうだし、後輩もそうだし、同期は特にまとまりが良くて。この学年で良かったと素直に思います。仲間がいなかったら、本当に辞めていたと思うので」

 最強と言われた世代だけに、卒業後は実業団へ進む選手も多い。進路について訊ねると、意外な答えが返ってきた。

「未定なんですよ。ただ、走らないです」

 走らないとは、競技を大学で辞めるということだ。

 これだけ走る才能に恵まれていながら、実業団へは進まないという。もったいないという声は多いだろうし、まだ伸びしろだってかなりあるように思える。本当に未練はないのだろうか。

「ないですね。もしかしたら、ないようにしているだけかもしれないですけど」

 1万mで27分台のランナーが、大学卒業と同時にスパイクを脱ぐ。過去にもおそらく例がないのではないだろうか。興味のある業界、就職先として考えていることを聞くと、わりと真面目な顔をしてこう答える。

「お笑い系をやりたいんですけどね。僕、ビジネスルールとかが嫌いで、非常識なので。それができるのってやっぱり芸人さんじゃないですか。スーツ着て働く姿が想像できないんですよ」

「30(歳)までは尖っていたいです」

 繊細であるがゆえに無頼を装っているようにも見えるが、本当のところはどうなのだろう。

 続けて、こんな言葉を漏らす。

「とか言いながら、何カ月かしたらコロッと変わっているかもしれないですけどね(笑)。自分のことながら、大変な性格だなと思います。ただ、30(歳)までは尖っていたいです。今の気持ちは持っておきたいなって思います」

「どこかの知らない道を、のんきに走っていたいです」

 まだ22歳、先のことなど誰にもわからない。

 向こう見ずさと純粋さは紙一重でもある。これだけの走る才能を備え、ユニークな考え方の持ち主が、陸上界の未来にたずさわらないのは惜しい。心変わりがあるなら早いうちにと、願ってしまう。

「今はあまり競技はしたくないというか。ただ、走ることは好きなので、川沿いとかどこかの知らない道を、のんきに走っていたいです」

 走ることを嫌いになったわけではない。中学から走り続け、大学まで没頭したのだ。新たな可能性を見つけるための充電期間も必要だろう。

 もしこのまま陸上界から姿を消せば、いつか「消えた天才」として再び注目される日が来るのかもしれない。そっとしておきたいような、それでも彼の未来を見てみたいような……。

 仮に数年後、日の丸を付けて走っていても、それほど驚きはしない。

文=小堀隆司

photograph by Yuki Suenaga