年明けの4日から栗東トレーニングセンターで幸運に恵まれた。サブスタンドのベンチに待機していた横山典弘を武豊が目ざとく見つけ、早足で駆け寄って新年の挨拶を交わすシーンを目撃できたのだ。

 横山が調教に出たのは前日の3日からだったが、武の栗東初出勤が金杯前々日のこの日だった。

 武としては、先輩に敬意を払う当たり前の流儀を実行したのみなのだが、横山は少し意表を突かれた表情だった。しかしそれを一瞬で立て直し、ベンチから立ち上がって出迎えた。「有馬記念のお祝いをまだ言ってなかったな。いや、本当に見事な競馬だった。むしろこっちから出向かなければいけないところだったのに申し訳ない」と、彼らしい言葉で恐縮の気持ちを伝えた。

 レジェンド二人が続けた短い問答がなんともカッコよかった。

「ノリさんも、間もなく岡部さん超え(岡部幸雄元騎手の史上2位の通算勝利数に迫っている)らしいじゃないですか」

「おう。でも、どこまで頑張っても2位だからなあ」

武豊「刺激を受けずにはいられません」

 横山が生活の拠点を美浦から栗東に移してから3回目の正月を迎えた。若い頃、アメリカやフランスに拠点を移す大冒険を実行してきたのが武だが、その人が「50歳を超えてからのノリさんの思い切った行動はすごいと思います。刺激を受けずにはいられません」と、当初からリスペクトを惜しまなかった。

 短期的なものと思っていた人も少なくなかった中で、いまでは栗東のサブスタンドのベンチが横山の定位置になった。騎乗依頼仲介者を置かないのは美浦のときからの変わらぬスタイル。その場所に横山がいるのが当たり前になって、調教師が訪ねてきて騎乗依頼をする風景も栗東トレセンの朝の日常として見事に溶け込んでいる。

 現役JRAジョッキーの最年長は57歳の柴田善臣。競馬学校騎手課程の第1期生だ。'23年の新人最多勝に輝いた田口貫太の世代は39期生だから、その数字だけでも1期生の生き残りの大きな価値が実感できる。

 以下、誕生日順で並べると、2位は公営・園田競馬のリーディングから移籍してきた小牧太で、3位が2期生の横山。そして4位に3期生の武が続く形だ。昨年11月に引退した2期生の熊沢重文を含めて、この5人を「5G」(ファイブジー。携帯電話の電波の進化になぞらえて5人の爺につなげた)と、やや自虐的なネーミングでまとめていたのは武の仕業。ともかく、これほど年長の騎手が活躍し続けている時代は振り返っても過去にない。

横山和生の口から自然に出た「お父さん」

 少し前の時代に「名手」の名をほしいままにした岡部は、'05年2月10日に56歳4カ月10日まで乗り続けて、JRAにおける勝ち鞍を2943まで伸ばしてムチを置いた。それが当時の史上最多勝。そのときには武がすごい勢いで2500勝台まで来ていてアッと言う間に史上1位に躍り出るのだが、いわゆる「岡部超え」は多くの騎手にとっての難攻不落の鋭峰として、19年経ったいまもそびえているのだ。

 2月23日に56歳の誕生日を迎える横山は、2月4日の時点で2939勝。武以外には誰も成し得ていない鋭峰超えを、当人より速いペースで間もなく抜いて史上2位に上がることになる。

 そうは言っても、そんな数字で感慨に耽るような横山ではない。

「寝ても覚めても、競馬のことだけを考え続けてきた。毎週たくさんのレースに乗ってきたときも、少ない鞍数に向き合ういまもそれはまったく変わらない。レースの前に考えることはいっぱいあるわけだけど、それでも、その日の馬の気分が“走りたくない”だったら、騎手として無理強いするわけにはいかない。そこが難しいところなんだよ」

 美浦から栗東に拠点を移した最初の日は、長距離運転を長男の和生騎手に任せての車移動だったという。

「あの日は渋滞もあって、美浦から8時間ぐらいはかかったのかな。車中ではお父さんと競馬の話をずっとしていましたよ。だから、気がついたら栗東に着いていて、ああ、そんなに時間が過ぎていたのかって感じでした」

 和生の口から自然に出てきた「お父さん」の語感が耳に心地よくて、三男の武史騎手も含めた父子関係の良さが想像できて、それだけで微笑ましい気持ちにさせられるのだ。

 1月14日に中山競馬場で行われた京成杯を快勝して次走に皐月賞を見据えるダノンデサイル(牡3歳、栗東・安田翔伍厩舎、父エピファネイア)が今年のクラシックパートナー。

 まだまだここも通過点としながら、38年目も輝き続ける横山だ。

横山典弘Norihiro Yokoyama

1968年2月23日、東京都生まれ。'86年デビュー。'90年キョウエイタップでエリザベス女王杯を制しGI初勝利。'10年にはリーディングジョッキーに輝く。GI通算33勝(地方6勝)、163cm。

文=片山良三

photograph by Takuya Sugiyama