春季キャンプ第5クール2日目。今キャンプで3度目のブルペンに入った前田悠伍は、ゆっくりと体を慣らしてからブルペンに立つと、1球1球感触を確かめながらミットを目がけて腕を振った。

 トータルで30球。ストレート、キレのある変化球を織り交ぜ、多くの報道陣やファンが見守る中で前田の速球が音を立ててミットに吸い込まれていく。途中で帽子を落とすことが幾度かあったものの、球の走りは決して悪くはないように映った。

 ブルペン投球を終えてサブグラウンドでダッシュを数本繰り返したのち、ブルペン投球について前田はこう振り返った。

「状態的には良かったんですけれど、身体が横ブリになっていて(球に)横のズレがあったような気がします。出力は……8割くらいで投げられるようになってきました。(初めてのキャンプ後半による)疲れはないんですけれど、今日は悪い時の癖が出ていました。身体はいい状態なので、身体のせいっていうのはないです。今日は良くはなかったんですけれど良いボールもあったので、それを踏まえれば良い状態にあると思います。ちょっとの修正をすれば普通になると思います」

 この日、捕手は中腰になって捕球していた。2度目のブルペン投球では捕手は立ったままだったという。段階を踏みながら徐々に投げる感覚を取り戻し、プロ仕様のピッチングに向け、少しずつ歩みを進めようとしている。

12球団で唯一の「高校生ドラフト1位投手」

 昨秋のドラフト会議は大学生の当たり年と言われ、12球団中9球団から大学生投手、もしくは野手が1位指名を受けた。例年、ドラフトでは将来性の高い高校生投手が数人1位指名を受けることが多いが、昨秋は高校生投手で唯一、前田だけが1位指名を受けた。

 大阪桐蔭では1年秋から公式戦のマウンドで主戦級の快投を見せ、早くからドラフト上位候補と囁かれてきた左腕。特に公式戦デビューした1年秋は、11試合に登板し57回2/3を投げ50奪三振、防御率は0.78をマーク。

 優勝した2年春のセンバツも2試合13回を投げ23奪三振で無失点と快投に快投を重ねた。最速148キロのストレートだけでなく、チェンジアップ、ツーシームの精度も下級生とは思えないほど高く、完全な“無双状態”に。最上級生になれば一体どんなピッチャーになるのか、期待は膨らむ一方だった。

 だが、順風満帆にいかないのが高校野球だ。

 ベスト4に進出した昨春センバツ以降、コンディション調整のため表舞台を離れ、土台作りに専念した。だが予想外の箇所に違和感を覚えるなど予期せぬ事態も重なり、6月までまともに実戦登板ができないまま、ほぼぶっつけ本番状態で夏の大会に臨んだ。大阪大会決勝ではライバル履正社を相手に8回を投げ6安打3失点でマウンドを降り、チームはそのまま敗れた。

 高校ラストイヤーに、大阪桐蔭のエースとして最後まで本領を発揮できなかった2023年。秋に行われたU-18ベースボールW杯では日本代表のエースとしてフル回転し、3試合16回2/3を投げ1失点と悲願の世界一に貢献した。

 日の丸を背負い最後の最後に有終の美を飾れたとはいえ、昨年はやはり投げられなかった時期を思うと、前田の心のどこかにはちょっとした“しこり”はあったかもしれない。

春季キャンプは「B班」でトレーニングも…?

 年が明け、新天地での新人合同自主トレを経て春季キャンプではB班の中で鍛錬に励む。だが、高校時代のヒジの状況なども踏まえ、無理をしない範囲内で投げる感覚を磨いている。キャンプ後半の時点で実戦登板はまだないが、前田の表情は明るい。

「今は投げられている状態なので。それだけでも十分楽しいんです」

 連日、前田の姿を見ているある球団関係者はこう明かす。

「今は身体作りを優先している段階ですが、良いボールは投げていると思います。首脳陣の期待も高いようで、順調に調整が進めば実戦での登板はそう遠くはないと思いますよ」

 高卒ルーキーだから、もちろん無理はさせない。体力的な部分やヒジなどのコンディションを見ながらじっくりと調整を進めている。前田からすれば昨年投げられなかった時のことを思うと、ブルペン投球ができているのだから充実感がその表情に溢れている。

「体の状態は良いですし、これからピッチングをする回数も増えていくと思います。とにかく投げていって、感覚を磨けていけたら」

 高校時代から、前田はとにかく負けん気を全開にすることが多かった。

 1年の冬、“無双”した秋の大会を振り返った時、当時の良さ、反省点などを挙げながらも上級生の投手がいるにもかかわらず「自分が投げて、全部勝つくらいの気持ちで。誰にも負けたくないんです」と勝ち気な表情を浮かべて語っていたことを思い出す。マウンドでは向こうっ気の強さを前面に出し、相手が上級生だろうと打者に果敢に立ち向かっていた。

 18年間を過ごした関西を離れ今は初めてのことづくめで慣れないことも多いが、まっさらな気持ちでスタートするには最高の環境とも言える。高校時代に見せた強い目力で打者を見下ろすようなピッチングを、プロの投手として、いつ、どういった形で見ることができるのか。今はその牙を研いでいる最中だ。

「早く試合で投げられるようになりたいですね」

 新しい環境はどうか、福岡での生活はどんな感じなのかを尋ねると、前田はすかさずこう返した。

「福岡に来てから……まだ一度も外出していないんです。でも、今は毎日が楽しいです。早く試合で投げられるようになりたいですね」

 言葉数は少なかったが、その一言には感情がこもっていた。世代交代が進むソフトバンクで、間違いなく次世代を背負う一人となるだろう。背番号41がマウンドで映える日を目指して――。“未来のエース”は今、プロ野球の世界の扉の前に立ったばかりだ。

文=沢井史

photograph by Fumi Sawai