あの桑田真澄と清原和博の指名をめぐって紛糾した1985年ドラフト会議。指名が重複した清原の「外れ1位」で、ひっそりと近鉄バファローズに入団した男がいた。桧山泰浩である。翌86年のドラフト1位・阿波野秀幸、89年の野茂英雄が鮮烈な印象を残す中、自分に期待する声は消えていき……。“忘れられた”ドラ1、桧山が半生を語った。〈全2回の2回目〉

 近鉄のドラフト1位、桧山泰浩は1勝もできずに球界を去った。野球とは関係のない衣料品会社で働きながら、「次」を考え始めた。

「プロ野球選手の引退後の仕事というと、飲食業が多いけど、自分には合いそうもない。180度違う世界はないかと考えた時に、浮かんだのが資格士業。司法書士、弁護士、税理士、公認会計士……と探していく中で、高卒の俺が狙えるのは司法書士だった」

29歳で“合格率3%”の司法書士に…

 桧山は2度目の挑戦で合格を果たした。29歳の秋だった。

「『合格するまで大変だった?』と聞かれるけど、実際はそれほど苦労した思い出もなくてね。初めて受けた時も、まあまあいい線までいっていたから。このまま勉強を続けていけば合格できると思っていた」

 桧山が司法書士になれたのは、学ぶための基礎があり、学習の方法を知っていた点が大きい。中学時代に偏差値70、福岡の進学校・東筑に進んだ頭脳がここで活きたのだ。

「勉強は、やればやるだけ結果が出る。中学、高校時代と試験前に猛烈に勉強した経験があったから、コツのようなものがわかっていたし」

 合格率3パーセントほどと言われる難関の試験を突破し、司法書士として福岡に事務所を構えて27年が経つ。

「自分で事務所を開いた1年目から、プロ野球時代の年俸は超えたよ」

「勉強しなかった選手」の行く末

 司法書士として足場を固めた桧山には、離れたからこそ「野球界」の課題が見える。まずは、プロ野球選手のセカンドキャリアの難しさについて。桧山は、かつて珍しくなかった“有望選手に勉強させない”高校、大学に原因があったという。

「プロに入った段階で『引退したあとのことを考えておく』というのは無理だと思う。保険をかけて勝負できるような世界じゃないから。俺が大事だと思うのは、プロ野球選手になる前。高校や大学でしっかりと勉強して、引退後に備えてほしい。プロで戦える時間は短いし、そこで考えている余裕なんてないから。

 その点、最近は、野球強豪校の選手でも勉強するようになったみたいやね。若い頃に身につけた“学ぶ習慣”“学び方”みたいなものは、いつか絶対に生かされる。昔は『野球以外は何もできません』という感じの人ばかりだったから、引退したあとに苦労するのは当然だった」

 4月に57歳になる桧山のセカンドキャリアはこれからも続く。

「司法書士は引退のない仕事だから、健康でいられさえすればずっと働くことができる。プロ野球選手みたいに収入が倍増することはないけど、コロナ禍でも減ることはなかったからね」

いまのプロ球界に思う“違和感”

 桧山は現在、北九州市の中学野球チーム、八幡南ボーイズでコーチを務める。プロ野球のニュースも日々チェックしている。昭和のプロ野球、それも異端児揃いの近鉄でプレーした男は、ルーキーの育て方に隔世の感を覚える。

「少し過保護には見えるよね。投球数を制限することも大事かもしれんけど、故障や痛みがないんだったら、もっと投げさせてもいい。球数を投げないと、ピッチングのために必要な筋肉や指先の感覚は育たないからね」

 2019年ドラフト1位で千葉ロッテマリーンズに入団した佐々木朗希についても思うことがある。メジャーリーグへのポスティング移籍を要求したことが報じられ、プロ野球選手会から脱退したことがニュースになった。

 桧山が近鉄に在籍した時代、プロ野球選手に移籍の自由はなく、年俸交渉なども選手本人が行うしかなかった。今の選手は、一軍で活躍すればフリーエージェントの権利(FA権)が与えられ、球団との交渉はプロである代理人に委ねることができるようになった。

「FA権にしても代理人交渉にしても、プロ野球選手会の活動を通じて、先輩方が球団側と長い時間をかけて話し合って勝ち取った大事なもの。そのおかげで今のプロ野球選手は昔よりもストレスなく現役時代を過ごせているだろうし、年俸などの待遇も格段によくなった。

 そういう歴史とか経緯、プロ野球選手会に関わった先輩方の思いを本当に理解しているんかなと思う。自分たちの権利を主張すること、行使することをダメだと言ってるわけやないんやけどね」

 プロ野球の課題や改善点についても、実績のある佐々木の主張なら聞き入れられる可能性がある。世間に対するアピールにもなるだろう。そう、まだ若手だった桑田が「喫煙者と非喫煙者のバスを分けてほしい」と言ったように。

“球界の至宝”佐々木朗希に注文

「俺みたいな元選手が言うことじゃないんやけど……」と言いながら、桧山は続ける。

「プロ野球は実力の世界。数字を残した選手の言葉には力も説得力もある。今後、メジャーリーグでも活躍する可能性のある佐々木にはプロ野球全体のことを考える責任があると思う。プロ野球OBなら誰しも佐々木のことは気になっているんやないかな。監督やコーチ、解説者はネットなどで炎上することを恐れて口にできんかもしれん。プロ野球から離れたくて今の仕事を選んだ俺だから、あえて言わせてもらうよ。

 もしかしたら、チームの中で先輩が後輩を指導するということもなくなったのかもしれんね。先輩・後輩のタテの関係、同期のヨコの関係があってチームは成り立っていた。それが昔のプロ野球のいいところだったと思う」

 近鉄を退団してから30年が経ち、桧山は初めて有志によって開かれたOB会に参加した。

「あの頃のピッチャーで、どこも故障していない人、痛みのない人はいなかったと思う。朝起きてすぐに痛みを確認しながら、自分なりのやり方で投げられるようにもっていった。今と比べれば年俸は低かったけど、みんながチームのために投げていたよね。もちろん、個人の成績のためでもあったけど」

 1月に行われた近鉄OBの集まりには土井正博、栗橋茂、梨田昌孝、羽田耕一、村田辰美、加藤哲郎など歴戦の強者が顔を揃えていた。

「みなさん、本当にいい表情をされていたよね。目の前で起こっていることの答えが出るのは20年後かも、30年後かもしれん。今の選手たちも数十年経って、近鉄の先輩方のような表情でチームメイトと集まれる、そんなプロ野球であってほしいね」

文=元永知宏

photograph by Masato Daito