NumberWebで展開中の「消えた天才」特集。本稿では、将来を期待されながら25歳で引退した元U-20日本代表MF市丸瑞希の今に迫ります〈全3回の2回目〉

 学校帰りの高校生でいっぱいのファストフード店。ざわざわとする店内とは対照的に26歳になった市丸瑞希の表情はこわばっていた。お酒に逃げてしまった当時の若い自分を振り返る。

「評価をされないのは自分のせいなのに、周りのせいにしてやけになっていました」

 堂安律から「天才」と信頼され、周囲からも「遠藤保仁の後継者」と期待されていることはわかっていた。しかし、当時の市丸にとって、それは「直接、関わらない人たちの言葉」に過ぎなかった。

岐阜に移籍してからもお酒が増えた

 ユース時代を過ごしたガンバ大阪の温情か、市丸は2019年5月にFC岐阜に育成型期限付き移籍のチャンスを得た。しかし、それでも負のスパイラルから逃れることはできなかった。むしろ、加速した。

 加入後はスタメン出場を果たすも、移籍後2戦目の第15節町田ゼルビア戦では前半で途中交代。次節からベンチを外れた。

「カテゴリーを落として、当時J2で最下位だった岐阜に来た。正直(試合に)出られるやろって思っていたし、柿谷曜一朗さんのようにチームを浮上させて、J1に戻ろうと思っていたんです。でも、フタを開けてみたら……この時のショックと歯痒さはすさまじかった」

 岐阜に来てからはお酒を呑む量もペースも上がった。ひどい時には練習の前日に深酒をしてしまうこともあった。

「練習後に家に帰りたくなかった。家にいるとイラつくし、悩むし、苦しくなってじっとしていられなかった。家に一人でいたくないという衝動だけで外出して、夜な夜な遊んでしまった」

 街の居酒屋やバーに繰り出せば、「今日も来てくれてありがとう」と感謝され、自分が肯定されている気分になれた。しかし、心が満たされるのはほんの一瞬のこと。

「酔っ払って家に帰って、そのまま着替えもせずに寝てしまうこともあった。練習に行く際に、『なんで昨日の夜、出かけてしまったんやろ。何やっているんやろ』と自己嫌悪に陥る。でも、その日の夜には出かけてしまっている自分がいました」

「心が折れた」「もう頑張らんとこ」

 岐阜での出場は14試合。チームはJ3降格も味わった。翌20年にはガンバ大阪に復帰をするも、トップでの出場機会はなく、気づけばU-23チームでも最年長選手になった。市丸は、再び環境を変えた。同年夏に当時J2のFC琉球にレンタルで加入した。

「琉球の攻撃サッカーは自分にあっていた」と言う通り、コンスタントに出場機会を得て、J1復帰への足掛かりをつくった。しかし、シーズンオフに保有元のガンバ大阪から0円提示を受けた。期待されたような、インパクトある活躍ができていなかったのだろう。他のクラブへの移籍も画策したが正式なオファーは届かなかった。

 琉球に完全移籍し、もう1年沖縄で過ごすことが決まった。世間はコロナ禍。外出する機会は減り、市丸にとってサッカーに集中する環境がそろったはずだった。だが、2021年の開幕戦出場は1分とアディショナルタイムのみ。その後もやってくるのは残り数分での出番だけで、7戦目からまたベンチを外れる機会が増えていった。

「ベンチ外を言い渡された瞬間、心が折れた音が聞こえた気がしました。『あ、頑張っても無理や。じゃあ、もう頑張らんとこ』と。練習中も一切声を出さなかったし、今思うと覇気がなくなっていたと思う。あの年は努力を一切していなかった」

 完全に折れた心を奮起させることは不可能だった。どんな時も毎試合欠かさずに見ていた古巣ガンバ大阪の試合も、かつての仲間が出場している日本代表の試合も一切見なくなった。どんどんサッカーから離れていく自分がいた。

 シーズン通して出場時間“60分”に終わった市丸には、当然、契約満了が伝えられた。トライアウトを受けたが、Jクラブからは一切声がかからなかった。

「ガンバで育ったことも、U-20W杯に出たことも、今思えばそれが変な自信につながってしまっていたのかなと思います。心の中で『俺はW杯を目指しているのに、こんなところでつまずいていられないんだよ』と思っていて、それが変なプライドになって自分の成長を阻害してしまっていました。本来なら全身全霊で這い上がるために努力をしないといけないにも関わらず、(J2を)こんなところと思っている時点で無理ですよね」

それでも、サッカーから離れられなかった

 ただ、落ちるところまで落ちたことが、市丸の未来に光を差すきっかけを生んだ。

「選手として限界を感じたことで、セカンドキャリアとして考えていた指導者を本格的に目指そうと思えたんです。選手としてはどん底まで落ちたけど、サッカーをすることは大好きだったので、サッカーから離れることは考えられなかった」

 どれだけカテゴリーを下げてもいい。もう1年現役としてプレーしながら、指導者の勉強をしたい。2022年を猶予期間として位置付けた市丸は、オファーと自身の思いが合致する関東1部リーグのVONDS市原と1年間契約を結んだ。

 結果的に、この1年が市丸の今の人生につながっていく。

(#3へ続く)

文=安藤隆人

photograph by J.LEAGUE