Jリーグ川崎フロンターレの英雄だった選手時代から、サッカーの技術だけでなく、考える力や言語化能力、コミュニケーションやリーダーシップといったさまざまな能力を発揮してきた中村憲剛。そんな彼が自身の経験、そして出会った仲間たちとの触れ合いなどを通して、人生のテーマについてとことん考えた『中村憲剛の「こころ」の話 今日より明日を生きやすくする処方箋』(小学館クリエイティブ)から未公開分を含めて一部転載します。<全3回の第3回/第1回、第2回も配信中>

自分にないものを持っている人は魅力的に映る

 プロになって最初に強烈な印象を受けたのがジュニーニョだった。

 ブラジル人FWのジュニーニョは年齢こそだいぶ上だったが、2003年に川崎フロンターレに加入した、いわば同期の間柄で、2011年までともにプレーした。2007年にJ1リーグで得点王にも輝いた彼には、パスの出し手として数多くのゴールをアシストさせてもらった。

 ジュニーニョの何が強烈だったかというと、彼にしかできないことがたくさんあることだった。それはサッカーにおいて、試合に勝利するために不可欠なゴールだった。彼は川崎フロンターレでリーグ戦通算110得点をマークしていて、次から次へとゴールを決める姿を見て、「これが本当のプロだ」と、何度、思ったことだろうか。

 というのも、ジュニーニョはピッチで力を発揮する姿と日常が、かなり掛け離れている男だったのだ。

 お世辞にも、ジュニーニョは模範的なプロサッカー選手とは言えなかった。たびたび練習に遅刻することもあったし、「ここが痛い」「あそこが痛い」と言って、全体練習を休むこともよくあった。全体練習に参加したからといって全力で取り組んでいたかというと、決してそうでもなく、いつも余力を残すというか、むしろ僕には手を抜いているようにすら映っていた。

 だが、それが本番である試合になると、まるで別人のように結果を出す。チャンスが1回しかなければ、その1回を必ず仕留めてくれたし、ここが勝負どころだと感じると、全速力でゴールに向かい、そして鮮やかにゴールを奪ったり、回数こそ多くなかったが、自陣深くまで戻って守備もしていた。

 自分が持てる力の“最大出力”をどこで使うのか。自分自身で自分の力と、力の出しどころをとても理解している人だった。

ベテランのアウグスト35歳からも刺激を受けた

 また、僕が川崎フロンターレに加入した2003年に鹿島アントラーズから移籍し、3年間をともに過ごしたアウグストも強烈なインパクトを与えてくれた選手だった。

 出会ったときはすでに35歳を迎えるベテランだった彼からは、最後まで諦めない姿勢と戦い続けることの大切さを学んだ。アウグストはウイングバックを務めていたため、年齢的にも90分間、上下動を繰り返すのは容易ではなく、周りもかなりサポートしていた。

 それでもジュニーニョと同じく、勝負どころを見極め、「ここぞ」という場面では必ず戻って身体を張った守備を見せていた。また、最後まで諦めない姿勢は、窮地にチームを鼓舞する行動から感じていた。僕自身も、チームが苦しいときやチームを勢いづかせたいときに、両手を挙げてスタンドのファン・サポーターを煽ったり、手を叩いてチームメートを奮い立たせたりしていたが、それはアウグストの姿勢に影響を少なからず受けていたからだ。

 彼らは、短所や欠点もあったかもしれないが、それを補って余りある長所を持っていた。自分の力を発揮する術(すべ)を誰よりも自分自身が理解していたし、そこが周りや人を惹きつけることも、彼らは知っていた。

オシムさんのミーティングはいつも独特の緊張感だった

 自分だけにしかない個性や特徴、キャラクターは、魅力であり、武器になる。

 それは出会った多くの指導者たちも同じだった。

 なかでも、立ち居振る舞いが印象に残っているのは、イビチャ・オシムさんだ。

 ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のオシムさんは、1990年代に旧ユーゴスラヴィアの内戦を経験し、一時は家族が引き離される事態に陥ったこともあるなど、僕が想像もつかない世界を見ている人だった。

 そのオシムさんが日本代表監督を務めていたときの、ミーティングはいつも独特の空気と緊張感に包まれていた。

 多くの監督が試合前に行うホテルなどでの事前ミーティングでは、先発するメンバーをホワイトボードに書き込む、もしくはネームプレートを貼り付けていたが、オシムさんがホワイトボードに何かを書き込むことは一度もなかった。

 また、多くの監督が、試合前に戦術の確認やセットプレーの確認を行い、選手たちを勇気づける言葉を言って、奮い立たせてくれていたが、オシムさんが感情的になって話をすることはなかった。

オシムさんが話し終え、立ち上がると…

 オシムさんは毎回、試合の内容とは異なる話を僕らに聞かせてくれた。その言葉に耳を傾けていると、最終的に、それが試合に臨む際の自分たちの心構えにつながるものばかりだった。

 そして、オシムさんが話し終え、立ち上がると、ミーティングが終わりの合図だった。スタメンが発表されることもなかったため、スタジアムについてから、コーチに言われて、自分が先発で出場することを知る機会もあった。

 あの空気や雰囲気を醸し出せるのはオシムさんしかいなかったと思うし、オシムさんもまた、自分にしかない強烈な個性や特徴、そして存在感があった。

 ジュニーニョ、アウグスト、オシムさん。彼らだけではないが、僕にとって魅力的な人物とは、自分にはないものを持っている人たちだった。

 だから、僕は思う。自分にないものを持っている人が魅力的であるように、他の人と違うところがある自分も他の人から見れば魅力的なのではないかと。

 大切なのは、自分自身も含めて、その個性や特徴、違いを認め、尊重してあげることだと思う。そのリスペクトがあるか、ないかで、受け取る側も感じ方や自分に対する接し方も変わってくる。

 強烈な個性を放つ人たちに惹きつけられた自分は、彼らを心の底からリスペクトしていた。
<第1回、第2回からつづく>

文=中村憲剛

photograph by JFA/AFLO