多様性が強調される現代において、もはや“長髪対決”といった謳い文句ですら世間に違和感を与えてしまうのかもしれない。

 センバツ3日目の第3試合。耐久対中央学院の一戦は、甲子園で選手たちが「当たり前」を示しているようでもあった。

 髪を伸ばした選手ばかりの中央学院とは対照的に、耐久は坊主の選手も目立つ。

 監督の井原正善が首をかしげて笑う。

「髪型を自由にしたらしたで、坊主が増えるという。それが不思議なんですよね。帽子が被りやすいからなのかな?」

 さらに井原は、選手たちを「今の子」と表現し、自分とのギャップを冗談っぽく嘆く。

「今の子たちは普段通りというか、いい意味で無頓着というか。私は緊張するんで、『楽しみたい』と言葉に出したいくらいなのに」

初出場の甲子園は1-7で敗戦

 試合での耐久は、昨秋の公式戦をひとりで投げ抜き、甲子園出場の原動力となったエースの冷水孝輔が、ランナーを背負いながら5回まで1失点と粘る。ところが、6回に3失点すると、守備のミスなども重なり、最終的に1-7と中央学院に敗れた。

 井原が評した様子そのまま、選手は試合で普段通りだった。しかし、「今の子」たちを勝利へと結び付けられなかったことを悔やむ。

「初回のチャンスで先制点を取れず、結果的にゲームが後手、後手に回ってしまいましたし、相手はひとつのミスも許してくれませんでした。もう少し、私がなんとかしてあげられればよかったんでしょうけどね」

 敗軍の将は肩を落とすが、井原は耐久にとって紛れもない改革者だ。

 野球部の長い歴史において甲子園初出場という新たな扉を開き、チームにあった「それまでの高校野球」を払拭した指導者だからである。

 耐久の歴史は古い。

 アメリカ海軍のペリー提督が浦賀に来航する前年の1852年に学校が創立され、野球部は1905年に誕生した。甲子園の第1回大会だと夏が開催される10年前、春では20年前に、すでに野球が息づいていたわけだ。

 この伝統校で白球を追った井原は、35歳の2019年に監督として母校に帰ってきた。

「高校野球の見本となるように」

 改革の大きなきっかけとなったのは、そこから約2年後の冬。中学校の指導者たちとのこんなやり取りがあってからなのだという。

「髪型で高校を選ぶのは、本質とずれているのではないか」

 そうだよな――ひょんなことから井原が初心に立ち返る。その時期とは、ちょうど今年の3年生の入学と重なるわけだが、ショートの澤剣太郎は、監督の言葉を今も覚えている。

「髪を伸ばしてもいいけど、高校野球の見本となるように行動していこう」

 耐久では坊主頭もそれなりの割合を占めるなか、澤はあえて長髪にこだわっている。

 理由は、監督からの訓示を実践するためだ。

「正直、今でも髪を伸ばしていることへの偏見って、まだあると思うんですね。監督さんが初めに言ってくださった通り、自分も見本になりたい気持ちはあります」

 澤は、監督について「性格とかプレースタイルを尊重してくださる」と話す。

 もともと、自分の身になるかどうか疑問を感じる練習では無意識に手を抜いてしまう一面があった澤は、井原から諭されるように行動の是正を促されたのだという。

「自分を持っているということだから、それをいい方向に出してみろ。もし、自分から行動できなかったり、周りに流されてしまうような人間がいれば引っ張ってやれ」

 澤は自身が率先して行っていたウエートトレーニングを、「自分だけでなくチームに必要だ」と積極的に誘うようになるなど、自発的に動く機会が増えたという。

 マイナス要素を咎めるのではなく、それをプラスに転換させて選手の個性を引き出す。

 井原はそんな指導方針を重んじている。

「3年生は特にそうなんですが、こちらが全部を言わなくても自分たちでできる子が多いんです。だから、ちょっとおかしい方向に行きそうなときだけ修正して。あとは気になったことがあれば個別に話すようにしています」

 その「個別」には当然、キャプテンも含まれている。むしろ、チームの舵取り役だからこそ、密な軌道修正が展開されている。

 赤山侑斗は目を丸くしながら言う。

「監督さんと話すと、自分の心に突き刺さるようなことばかり言ってくださるので。すごく説得力のある方だなと思います」

 胸に刻み続ける監督の言葉とは?

 そう尋ねると、赤山は「あ、あります」と即座に反応し、監督からの言葉を反芻する。

「仲間への配慮を持てばもっとよくなる。心を広くしてチームをまとめていってほしい」

 その度に、赤山は襟を正す。

「性格的に『自分が、自分が』となってしまうことがあるので。センバツの前とか大事なタイミングで監督さんに言っていただけると、自分を見つめ直せるというのはあります」

令和の時代だからこそ…いかに個性を伸ばすのか

 監督の信頼が、選手をみずみずしくさせる。

 公式戦になると「坊主がいつもより3、4人増える」という主体性の強い集団を、主張できるキャプテンが牽引する。

 昨秋にエースの冷水を中心とし、校名のごとく耐えて勝ち、監督に導かれ自己も変えて勝った。そんなチームが甲子園出場を果たしたのは、きっと偶然ではなく必然だった。

 日本の転換期に誕生した学校。

 その野球部は、変革の時代に突入した令和においても動じず、柔軟に生きる。

文=田口元義

photograph by JIJI PRESS