ロサンゼルス・ドジャースでの挑戦が始まった大谷翔平。日本ハム時代から10年以上にわたって『スポーツニッポン』紙で番記者を務める柳原直之氏の著書『大谷翔平を追いかけて-番記者10年魂のノート』(ワニブックス)より一部転載でご紹介します。第1回は“番記者として唯一怒られた、2016年のある日”について。<全3回の第1回/第2回、第3回も配信中>

番記者歴10年、唯一本気で大谷に怒られた日

 大谷は2月8日の韓国・ロッテとの練習試合に「3番・DH」で実戦初出場。初回の第1打席で初安打を放ち、大リーグ13球団のスカウトが集まった中、打者として結果を出した。この日は米メディアがここぞとばかり大谷に取材攻勢をかけていた。

 地元ラジオ局に加え、大リーグ公式サイトが単独取材を敢行。担当したバリー・ブルーム氏は、かつてイチロー、松坂大輔(元レッドソックスなど)らへのインタビュー経験がある、名物コラムニスト。メジャー移籍後の現在も大谷について書き続けている。

 この時、同氏は大谷の将来的な二刀流での大リーグ挑戦について懐疑的な意見を述べた。「私はこれまでケガをしなかった(大リーグでの)日本人投手を見たことがない。大リーグでもこれまで二刀流はいない」。昨季もダルビッシュ、田中将大(ヤンキース)が右肘を故障した原因のひとつとされるのが、「中6日」が基本線の日本よりも短い登板間隔。二刀流をケガなく本当に続けられるのかと疑問視していた。

 ただ、こうも言った。「ベーブ・ルースのように投手がもしダメでも、打者でやれる可能性がある」。投打の才能を過小評価しているというわけではない。大谷は「日本でやりきったら大リーグに行きたい。時期は僕が決めることではない」と答えた。

アリゾナキャンプにいた複数のメジャー大物幹部

 アリゾナキャンプ最大のハイライトは、2月10日の韓国・ロッテとの練習試合での実戦初登板だった。最速157キロの直球を軸に4者連続三振を奪うなど2回を1安打無失点。ネット裏にはメジャー全30球団、約70人のスカウト陣が詰め掛け、ビデオ撮影やスピードガンで球速を測り、1球1球、克明にメモを取った。野手として出場した8日の同戦の13球団20人強を上回る「大谷品評会」だった。

 驚いたのはスカウト陣の中に複数の「大物幹部」の姿があったことだ。

 帽子を深くかぶり、ネット裏近くに陣取ったのは、カブスの編成部門トップに立つセオ・エプスタイン編成本部長(現MLB相談役)。先にいたジェド・ホイヤーGM(現編成本部長)の隣に座り、スカウティングリポートをめくりながら、投球を熱心にチェックした。

 キャンプ地を日本ハムに提供しているパドレスのAJ・プレラーGMのほか、レンジャーズはジョン・ダニエルズGM(当時)がテキサスから、ブルワーズは2015年までGMを務めたダグ・メルビン・シニアアドバイザー(現GM特別補佐)もミルウォーキーからわざわざ駆け付けた。この時期に編成部門のトップが1人の選手のために集結するのは異例で、大谷の注目度の高さが分かった。

後輩の「どう逆方向に飛ばすんですか?」の質問に…

 大谷とチームメートの間で印象に残ったやり取りがある。キャンプ施設のベンチで後輩の石川亮が柵越えを連発する大谷に尋ねた。「どうやって逆方向に飛ばすんですか?」。すると、大谷は「(ボールに)4分の1回転をかけると、左中間へ飛ぶ。それが“大谷翔平流”」と笑った。

 バットを体の内側から出し、スライス回転の打球を打つように、ボールを4分の1個分回転させるイメージ。2015年のキャンプ時にも話していた内容と同様で、ボールに強烈なスピンを与えることで、引っ張った時のような強烈な打球が飛ぶという理屈だ。理解できても体現できる野球選手が一体どれほどいるだろうか……。

 私にとって初の米国出張は日本との打ち合わせに苦労した。

 日本とアリゾナの時差は16時間。取材が一段落したアリゾナの夕方は日本の午前中で、スポニチ東京本社の編集局には誰も出社しておらず、打ち合わせがままならない。ある程度こちらの独断で記事テーマを決めるも、アリゾナで就寝する時間帯に編集局の方針が変わり、深夜から早朝にかけて書き直しを命じられることも度々あった。寝る時間がないわけではなく、寝るタイミングが重要。2週間のアリゾナキャンプ中、最後まで慣れることはなかった。

「そんな人は信用できませんよ」との苦言

 当時の取材メモには残していないが、大谷に苦言を呈されたことがあった。

 繰り返しになるが、日本ハム時代の大谷の取材対応は1日1回でマンツーマン取材は厳禁。この日は「囲み取材」や会見ではなく、キャンプ施設前の駐車場を横断して宿舎に戻る際に、歩きながら話を聞く「ぶら下がり取材」の日だった。

 私が練習の内容、打撃や投球の状態など野球の質問を投げかけたところ、大谷の表情はこわばったまま。いつもと様子が違った。すると、大谷は歩きながら私の方に顔を向けて強い口調で語り始めた。

「僕の(花巻東の)同級生をよく“合コン”に誘っているらしいじゃないですか。そんな人は信用できませんよ」

“周辺取材”だったとはいえ、自戒を込めて

 私の他に他社の記者が1人いた。

 突然のことに私は弁明しようとしたが、大谷は聞く耳をもつわけもなく、そのまま歩くスピードを上げて宿舎に入っていった。現在までの取材歴10年間で唯一と言っていいほど、本気のトーン、本気の表情で怒られた一件だ。“大谷番”になって以降、取材を兼ねて花巻東の同級生たちと何度も食事を重ねていたのは事実だった。噂を聞いた何者かによって話が脚色され、“合コン”にすり替わったのかもしれない。

 大谷に限らず取材対象となる選手のチームメート、コーチ、同級生、家族など周辺から話を聞くこと、いわゆる“周辺取材”は記者の大事な仕事のひとつ。毎日のように1面級の記事が求められる大谷は率先してグラウンド外の出来事を話すタイプではないため、この周辺取材が不可欠だった。

 ただ、これは全て言い訳になるだろう。

 大谷には以前から「僕の同級生のことを記事にし過ぎです」と注意を受けていた。不快な思いをさせたことには変わりない。その後はしばらく大谷に目を合わせてもらえなかった。私の取材メモにこの事実は残していない。思い出したくないからだ。自戒を込めてここに記した。

きちんと節度を持った取材をできているか

 周辺取材で原稿をつくらなければならない状況は、メジャー移籍後の今も基本的には変わっていない。

 大谷本人の取材対応がなければ、選手、関係者に話を聞くしかないからだ。どうすればいいか、ベストな取材方法は何か。いまだに答えは出ていない。きちんと節度を持った取材ができているか。自分の心に問い続けながら、今後も取材にまい進したい。

<つづきは第2回。大谷単独インタビュー時に見た「イタズラっぽい笑み」秘話をご紹介します>

文=柳原直之(スポーツニッポン)

photograph by Hideki Sugiyama