予定されていた3月26日サッカーW杯予選の日本対北朝鮮戦は、「自国開催は困難」という北朝鮮側の事情で、まさかの「実施されない」ことが発表された。だが、かつて北朝鮮で行われた日本代表戦を取材した記者に驚きはなかった。その時も想定外の事件が続出していたからだ。2011年11月、あのアルベルト・ザッケローニ時代。現地取材した記者が見た北朝鮮の実態とは。デジカメ没収の危機、ホテル最上階の高級バー、冷麺に唸った現地グルメ、謎の宿泊代……“ビックリ事件”が続出していた当時取材の模様を明かす。<全2回の1回目>

 押入れの、奥の奥。引っ越し以来放置したまま、うっすら埃をかぶった段ボールの中に、あった。無印良品のA5サイズ。表紙には「2011年10月〜2012年2月」。サッカー専門誌記者時代の、我が懐かしき取材ノートだ。

 茶色くなった紙をめくっていくと、お目当てのページにたどり着いた。

「ブラジルW杯アジア3次予選vs.北朝鮮(アウェー)」

 メモは試合の12日前、2011年11月3日から始まっている。この日、日本サッカー協会(JFA)ビルの一室に急遽呼び出された。そこでの走り書きがノートに残っている。

前回は取材許可「10人」だった…

■北朝鮮戦取材者ミーティング

・11日中に北京の北朝鮮大使館でビザ取得の必要があるため、11日のタジキスタン戦現地取材は不可。
・11月14日にチームチャーター便に同乗。入国に時間がかかった場合、練習開始時間ずれる可能性あり
・携帯電話は税関手前で預ける
・入国時、荷物の中身まで見られる。特にパソコン、カメラ、電子機器は念入りにチェック。新聞、雑誌持ち込み不可。タバコ持ち込み可
・宿泊は羊角島国際ホテル ※料金確認中。支払いはおそらくユーロ払い
・各部屋にインターネット回線を引いてもらうように要請済み。料金は30分6ユーロ目安?

 JFAに集められたのは、たった10人だった。

 この北朝鮮戦に向けて新聞社、出版社など各活字媒体から51人の取材申請があったものの、北朝鮮側から許可されたのはこの10人だけだったそうだ。内訳は、通信社記者3人、サッカー専門誌記者2人、フリーランス記者1人、カメラマン4人。そんな狭き門を突破する幸運に恵まれた。このミーティングの後、たくさんの新聞社から原稿執筆依頼が届いた。現地の様子をうちでも書いてください、と。いつも取材現場でお世話になっているみなさんからの依頼だから、「頑張ります」と威勢よく返事したものの、さすがにすべての速報記事を短時間で書き分けるのは難しい。だから、各日の様子を箇条書きで送って、各社でアレンジして記事にしてもらうことにした。

「静かにしなさい」注意された遠藤保仁たち

 11月14日、平壌行きのチャーター機前方に座る日本代表選手たちは、おにぎりを頬張っていた。現地に到着しても、いつ食事ができるかわからない。この日の練習に備えての栄養補給だろう。コンディション調整に抜かりなし。ただし、海外遠征の経験豊富な代表選手たちにとっても、北朝鮮は未知の国だ。平壌国際空港が近づいてくると、窓に顔を寄せて朝鮮半島の様子を食い入るように見つめていた。

 無事に着陸。滑走路を歩いて空港内に入ると、いきなり入国審査場がある。壁に掲げられた将軍さまたちの特大肖像画に見つめられながら、選手・スタッフに続き、僕ら報道陣も列に並んだ。前方では、談笑していた遠藤保仁、今野泰幸、安田理大が、軍服を着た警備員に「静かにしなさい」と注意されている。緊張感、ぴりり。

 そんな空気を和らげたのは、今野だった。

「え? 俺、寝てたから。みんな、いつの間に書いたの?」

 どうやら入国審査に必要な健康診断票を書き忘れていたらしい。さすが、愛されコンちゃん。みんなから一斉にイジられている。そんな今野を尻目に、書類もばっちり揃えた選手は順調に入国審査を通過……するかと思いきや、全然列が進まない。入国審査官は目の前の選手を見つめたまま、謎の無言タイムが続いている。突然、口を開いたかと思えば、書類にダメ出し。アルベルト・ザッケローニ監督も、容赦なく健康診断票の書き直しを命じられていた。

空港を出られず…「仕返しみたいです」

 空港到着から、すでに1時間半が経った。後から到着した中国人の一団はすいすい通過していくのに、日本代表の列は遅々として進まない。ひたすら待ちぼうけの報道陣に、協会のスタッフが近づいてきて教えてくれた。

「どうやら、2カ月前に日本のホームで戦ったとき、北朝鮮代表チームの入国にかなり時間がかかったそうで。その仕返しみたいです」 

 なるほど。さっそくアウェーの洗礼だ。到着2時間後、ようやく報道陣の入国審査が始まった。やっぱり審査官は全然しゃべらない。10分が経過したころ、上司と思われる軍服の人がやってきて、審査官に何やら囁くと、いきなりパスポートが返された。通過オーケー。去り際、審査官がそっと僕に言った。

「アイム・ソーリー」

 彼も自分の意思で時間稼ぎしているわけじゃないんでしょう。「お疲れさまです」と伝えて前に進んだ。

 さて、あとは税関での荷物検査を終えれば、ようやく入国だ。と、ほっとしたのも束の間、北朝鮮の強固なディフェンスはまだまだ突破を許してくれない。税関前の床に、選手たちが座り込んでいた。再び協会スタッフからの情報によると、日本代表が持ち込もうとした食料の多くが没収されているらしい。

食料没収…急遽バナナを食べる時間に

 1時間経過。暇を持て余した槙野智章、西川周作、安田はトランプを始めた。途中、何度か空港が停電した。復旧のたびに、選手たちから拍手が起こる。

 2時間経過。さすがに疲れた報道陣も、床に座った。そんな僕らに、サッカー協会の小倉純二会長と大仁邦彌副会長が声をかけてくれた。両手いっぱいに、大量のバナナを抱えて。

「どうせ没収されちゃうんですから、みんなで食べちゃいましょう」

 ありがたや。もぐもぐタイムで空腹をしのぎながら、さらに待つこと30分。ついに荷物を運ぶターンテーブルが動き、列が進み始めた。

 選手の荷物検査が無事に終わり、ようやく僕の番も回ってきた。検査官にスーツケースを開けられ、せっかく畳んだTシャツも1枚ずつ広げられる。やましいことはしていないのに、何かドキドキする。

デジカメ没収危機…救ったラッキーストライク

 と、ここで想定外の事案発生。検査官のおじさんが、僕のデジカメを「没収」と宣言した。え!? ちょっと待って。携帯電話は事前に預けると聞いていたけど、パソコンやカメラはOKのはず。帰国後は、現地の写真入りコラムを執筆する予定だったから、カメラがないのは厳しい。青ざめた僕なんか無視して、おじさんはデジカメを机の脇に置き、さらにスーツケースの中をガサゴソ探っている。

 ヤバい、ヤバい。デジカメ没収危機に焦りながらも、僕は見逃さなかった。スーツケース内のある一品を見て、一瞬、おじさんの手が止まり、目が輝いたことを。

 タバコだ。成田空港の免税店で買った、ラッキーストライク1カートン。チャンス到来。その中から3箱取り出して、思い切っておじさんに伝えてみた。

「もし興味があれば、どうぞ」

 それまで鉄仮面のごとくずっと無表情を貫いていたおじさんが、ニコリ。タバコと引き換えに、そっとデジカメを返してくれた。

ホテル到着…廊下に監視員ズラリ

 結局、空港に到着して税関を抜けるまで、5時間かかった。チームにとっても、まさかの事態だったのだろう。当初は一度ホテルに入る予定だったが、急遽変更。スタジアムに直行し、20時から練習が行われた。

 練習取材を終え、羊角島国際ホテルに着いたのは23時30分だった。新聞社の締め切りを考えると、すぐにでも原稿を送らないとまずい。鍵をもらい、急いで部屋に向かう。

 と、ここにも北朝鮮は鉄壁の守備ブロックを築いていた。ホテルの廊下には、5メートル置きに監視の人が立っている。空港の入国審査官と同じく、無表情。こちらが「こんにちは」「ハロー」「アニョハセヨ」と声をかけても、完全スルー。これもアウェーの洗礼か。

 部屋に入ると、壁に巨大な鏡が設置されていた。“北朝鮮ではホテルの鏡がマジックミラーになっていて、その奥から監視されている”という都市伝説は、出国前に聞いていた。信じるか、信じないかは私次第。ということで、とりあえず鏡に向かって「こんにちは。よろしくお願いします」と声をかけておいた。

<つづく>

文=松本宣昭

photograph by 代表撮影/JIJI PRESS