メジャーリーグでプレーする菊池雄星と大谷翔平、2021年には同校初となる東京大学合格者、そして今年はスタンフォード大まで……逸材を生む花巻東(岩手)とはどんな高校なのか。同校硬式野球部の佐々木洋監督や大谷翔平と親交があり、漫画『ドラゴン桜』『クロカン』『砂の栄冠』などのヒット作を手がけてきた漫画家の三田紀房先生に聞いた。〈全2回の2回目/第1回も配信中〉

――三田先生は高校野球漫画も描かれていますし、高校球児への取材経験も豊富です。菊池雄星や大谷翔平とも交流があります。これまで出会ってきた球児と比べても、高校時代に140本塁打を放った麟太郎選手には特別な印象を抱いていますか。

三田 個人的な感想ですが、わりと普通、なんですよね(笑)。これまでも甲子園で活躍したスーパースターを、その年の秋や冬にインタビューする機会がありました。たとえば、斎藤佑樹さんとかですね。彼らと比べても、麟太郎君が飛び抜けた発想を持っているとか、奇抜で他の球児とは違うなとか、そういう印象はないんです。受け答えもいたって普通ですからね。

花巻東はいつから変わったのか

――先生は度々、花巻東の球児を「良い意味で田舎っぽさが残っている」と話されていますが、麟太郎選手もそうした垢抜けない印象をお持ちですか。

三田 まあ、そうですね。ただ、花巻東も昔と比べれば相当に“進化”しているんですよ。江釣子村(現北上市)の出身で、黒沢尻北高校から国士舘大に進み、横浜隼人でコーチを務めていた佐々木洋さんが2002年に監督に就任し、2005年夏に甲子園に出場した。その頃は、「岩手では勝てるかもしれないけれど、甲子園(全国)では勝てないだろうな」という印象だった。相手からしたらぜんぜん怖くないんですよ。ノーアウトでランナーが出たら、バントで送ってヒット一本に期待するんだけど、そのヒットが出ないから1点も入らない、みたいな(笑)。強豪校からしたら付け入る隙の多い野球だった。当時、私も日刊スポーツでそのような批評を書いて、佐々木監督もそうとう頭にきたみたいですけどね。

――その後、2009年春のセンバツで、菊池雄星を擁して準優勝を果たしました。田舎の野球から脱却したきっかけはあったのでしょうか。

三田 どうしたら甲子園で勝てるか、佐々木監督なりに勉強したんですよね。(2004・2005年夏に全国制覇を達成し、3年連続で決勝に進出した)駒大苫小牧を率いた香田誉士史監督(現・駒澤大学監督)の大きな影響を受けて、実際に薫陶も受けた。ボール回しやカバーリングなど、駒大苫小牧の野球をテンプレートにしてチーム作りをし始めた。これがちょうど雄星君の頃です。そこから“全力をアピールする野球”というのをおそらく佐々木監督は目指したんじゃないかな。以来、花巻東の選手たちはそこまで全力疾走しなくても良いと思うぐらいに、一塁を駆け抜けるじゃないですか。最近こそ落ち着いてきましたが、とにかく我武者羅に野球をやるというチームカラーに変えた。すると少しずつ全国でも勝てるようになっていった。

岩手のヒーローは「今も雄星君なんです」

――菊池雄星が卒業した2010年に入学して来たのが大谷翔平でした。

三田 節目、節目にとんでもない選手が入ってくる。それでも岩手県民にとって一番のヒーローは今も雄星君なんですよ。雄星君のいた花巻東が、岩手の高校野球を革命的に変えた。だから今でも県民は雄星君を応援している。大谷君はもはや、「岩手の大谷」ではなく「世界のオオタニ」になっているから。

――岩手の球児の意識も変わったのでしょうか。

三田 岩手の子たちの気質は変わっていないと思います。変わったのは花巻東ですよ。独自の路線を突き進んできたと思います。

花巻東の監督・佐々木洋とは何者か

――二人のメジャーリーガーを育て、甲子園常連校となった花巻東を率いる佐々木監督は、スタイリッシュな見た目も含め、高校野球の世界でもカリスマ的な存在になっています。先生から見た佐々木監督はどんな監督でしょうか。

三田 昔から発想もわりと平凡だし、カリスマになるような感じはなかったんですけど……彼のすごく良い所は、人の話をよく聞くんです。ある意味、影響を受けやすいという言い方もできるんだけど、素直な性格です。あれだけ勝っていても、偉ぶらないですし、今でも学習意欲の高い監督ですね。「オレが佐々木だ!」みたいなことはない。

 忘れてならないのは花巻東が強豪であり続けていられるのは、流石裕之部長という懐刀がしっかりしているということ。監督という存在がクローズアップされがちですが、花巻東に関してはあのコンビで成立している学校なんです。監督と、流石部長は人柄も性格もすごく似ていて少年っぽいところがある。あのコンビに高校生は親近感を覚えて、チームとしてまとまる。監督や部長が上から抑えつけるようなことはないので、選手が野球に対してのびのびと、自由に取り組めるんじゃないかなと思います。

「意外と選手はクールで冷めている」

――花巻東の選手たちには、監督に対する敬愛の念が強い印象を抱きます。夏のベンチメンバーに入れなかった3年生のために、監督がノックを行う、通称「最後のノック」が行われますが、監督も選手も涙を流しながらノックをする様子がまるで宗教のようだと揶揄されたりします。

三田 確かにそういった声がありますけど、言われているほど宗教化はしていないんです。選手たちは佐々木監督のことを良い意味で舐めていて、受け入れられない指示があれば「はい、はい」と聞き流していることもある(笑)。最後のノックも、いわゆるひとつの儀式、セレモニーであり、意外と選手はクールで冷めているんですよね。それがむしろ高校生らしくて、健康的で僕は好感が持てますし、頼もしい。(1980年代に強かった)徳島の池田にしても、蔦文也監督のことを選手たちは裏で「ブン」と呼んでいたわけじゃないですか。選手が監督を必要以上に崇めることこそ問題ですよね。

大谷“あのシート”「たいして役には立たない」

――花巻東の球児が実践していることのひとつに、目標を81のマスに書いていく「目標達成シート」がありますし、大谷も実践していました。ああいう人生設計を紙に書くという作業も佐々木監督は徹底していますね。

三田 僕自身はたいして役には立たないと思っています。正直、大谷君があれを真面目に書いたとは思っていません。きっと「書け」と言われたから書いただけですよ。大谷君とは何回も会ったことありますが相当にクレバーな男です。だからインタビューでも、無駄なことはあまり話さず、何を訊ねてもどこかで聞いたような話しかしない。自分の本心を隠して、なるべくツッコまれないように自分を自分でガードしている。対照的に、会話が面白く、サービス精神が旺盛で、気配りができるのがイチローさん。食事をする機会があると、2時間なら2時間を相手にあわせてプロデュースして、楽しませてくれる。起業家タイプのアスリートだったと思います。

大谷を“投げさせなかった”英断

――しかし、大谷も花巻東で佐々木監督の指導を受けたからこそ、現在の活躍があるのではないでしょうか。

三田 それは間違いない。大谷君があそこまで大きく成長できたのは、成長痛があった高校2年生の時に、佐々木監督が大谷君を寮でずっと寝かせていたことですよ。よくぞあの時に、大谷君に無理をさせなかった。あれだけの逸材ですから、試合で起用したくなるのが監督だと思うんです。大谷君が2年の夏の甲子園では、ライトで出場していましたよね。無理を強いる監督なら先発させていたと思います。結局、途中からマウンドにあげて、ボコボコ打たれてしまったんだけど、今になって振り返れば、大谷君を佐々木監督が守りましたよね。「もっと投げさせろ」という声に耳を傾けず、すべての批判を監督が受け止めた。

――そうした経緯を岩手の野球人は知っているから、佐々木朗希(千葉ロッテ)のいた大船渡高校の國保陽平監督も、岩手大会の決勝で令和の怪物を投げさせないという英断を下せたのかもしれません。

三田 僕もそう思います。

文=柳川悠二

photograph by L)Nanae Suzuki, R)JIJI PRESS