その光景は象徴的だった。

 フィニッシュを迎える前に、観客席には立ち上がる人々の姿がうかがえる。

 最後のスピンを終える。歓声と万雷の拍手がおくられる中、氷上に両手と両ひざを突いた。表情にはおさえきれない感情があふれた。

 2024年3月22日、フィギュアスケ―トの世界選手権女子フリー。坂本花織は圧巻の演技で3連覇を果たした。

表情、仕草にも宿った坂本の表現力

 今シーズン、グランプリシリーズ2戦とグランプリファイナル、全日本選手権と主だった大会ではショートプログラム、フリーともに1位の完全優勝を果たしてきた。ただ世界選手権はこれまでと異なる展開で進んだ。ショートプログラムではトリプルルッツの着氷が乱れ、4位スタートとなったからだ。

 追う立場となってフリーに臨むにあたって、「焦りや緊張はありました」。

 フリーは『Wild is the Wing/Feeling Good』。いざスタートすると、冒頭のダブルアクセルをいつものように雄大に決め、ジャンプを次々に決めていく。2つ目のジャンプ、トリプルルッツこそeマーク(正しいエッジで踏み切っていないこと)がついたが、それを除けば見事に成功させていった。

 ジャンプばかりではなくスピンやステップ、隙のない演技を続ける。その表情、細やかな仕草に至るまで曲の世界を表現していく。歓声と万雷の拍手が起こるのも自然なことだった。

 坂本の得点は149.67点、スケートカナダで出した今シーズンの世界最高得点151.00点に迫る高得点をマークし総合では222.96点。続く3人の選手が坂本を上回ることはなかった。

自分にかけ続けたプレッシャー

 逆転で成し遂げた優勝は、実に56年ぶりの世界選手権3連覇という偉業をしるす優勝でもあった。

「いい緊張感の中でひとつひとつ、集中してできました」

 と、振り返る。

 でもそれは容易なことではない。3連覇への期待は、昨シーズンの世界選手権で優勝した時点で寄せられていた。シーズン中も取材時に触れられることがあったし、世界選手権が近づけばなおさら、高まっていった。

 周囲の視線もさることながら、坂本自身も意識して取り組んできた。昨年末にはこう語っている。

「世界選手権3連覇は今シーズンずっとやってきた目標で、どうしても達成したいです」

 周囲の期待、自身が課した目標は内と外からかかるプレッシャーでもある。しかも今シーズンの主要大会では初めて追う立場となる中、プレッシャーをはねのけたことに真骨頂がある。

「常に勝ち続ける難しさを感じた優勝」

 今シーズンに限った話ではない。

 3連覇を振り返りながらこう語る。

「初めて優勝できたときはオリンピックシーズンで、世界選手権の1カ月前にオリンピックがあってかなり燃え尽きて。1カ月後に世界選手権でしんどい部分がたくさんあったんですけど、いろいろその間に状況が変わって、勝たないといけない、自分が勝たないと、という気持ちに、ナーバスになっていって。でも最後の最後までやりきった気持ちがあったので、初めて優勝できたときがいちばんうれしかったです。

 2回目は、オリンピックシーズンが終わった後でそれこそまた燃え尽きて。グランプリファイナルまでは本調子じゃなくて、でも世界選手権で連覇したい気持ちもありました。その葛藤を乗り越えての優勝でした。自分がいちばんやりたくなかったミスをしての優勝だったので悔しさの残る優勝だったなと思います。

 今日は、今シーズンずっと調子がよかったので、ショート4位になったときに好調を維持し続ける難しさを感じて、必ずしもショート1位、フリー1位の総合1位になれるわけじゃないなと経験できました。常に勝ち続ける難しさを感じた優勝だったなと思います」

 3シーズンにわたって、強い精神力を示してきた。

北京五輪後も燃え尽きることなく……

 4年に一度の大舞台を経てモチベーションのあり方に苦しんだり、葛藤を抱えたり、波がありつつその波にのまれることなく乗り越えてきた。フィギュアスケートに限らず、どの競技であっても困難であろう状況に停滞することなく継続してきた。

 折々の取材を通じて坂本から感じるのは、練習そのものを重要視しているのは言うまでもなく、例えば練習の中の1本のジャンプであったり、ディテールの部分、地道な部分を大切にする姿勢だ。

 誰もがそうであろうとしているかもしれない。アスリートでなく普通の人々でも、そうありたいと考える。でも、日々実行できるかは別の話だ。

 2022年の北京五輪で銅メダル獲得という大きな結果を残してなお、燃え尽きることなく気持ちを整えられたのも、日々の過ごし方にあった。地道に1つ1つを大切に取り組んできたことは、先に記したように技術、表現、あらゆるところで細かなところまで磨き上げられた演技にこそ表れている。

他のスケーターの手本、指標に

 しかもシーズンを重ねるごとに進化をみせてきた。隅々まで行き届いた演技でGOE(ジャンプなど各要素のできばえ点)や演技構成点で高評価を得られる強みを身につけたことも、他のスケーターの手本となり指標となる。

 試合を終えて坂本は言う。

「今できることを精いっぱいやって、もっともっと自分自身のレベルを上げていけたらなと思っています」

 その言葉通りに歩んできた結果が、世界選手権3連覇であった。

文=松原孝臣

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