2023年12月6日、堀江翔太(38歳)はリーグワンの新シーズン開幕を前に現役引退を表明した。ラグビーW杯4度の出場、日本代表キャップ「76」を誇るフッカーはラストゲームをどう迎えるのか。複数回にわたってお届けする短期連載の第1回は、引退後のビジョンとその経緯を明かした。
周囲を驚かせた開幕前の引退発表
「いい感じで、サプライズをかませられて良かったです」
堀江翔太。38歳の現役フッカーが悪戯っぽく笑う。
埼玉パナソニックワイルドナイツでプレーしてきた堀江が、今季限りでの引退を発表した。
てっきり、40歳まで現役を続けるのだと思っていた。昨秋に行われたワールドカップ(W杯)でも堀江の存在感は際立っていた。
特にイングランド戦では、スクラムで堀江が要になっていることが分かった。相手プッシュに動じない日本のスクラム。イングランドのゲームプランに楔を打ち込んだFWの働きは見事だった。堀江は言う。
「スクラムコーチの(長谷川)慎さんが言うてることが理解できてたと思うんで。慎さんのスクラムではフロントローは押す必要はなくて、後ろからの押しを伝えるだけでいいんです。ただ、そこにいくつかポイントがあります。この話、長くなるんで、それはまた別の機会に話しましょう(笑)」
W杯の最終戦となったアルゼンチン戦の後のミックスゾーンでも、
「次(のW杯)は41歳? 今のコンディションやったらできるんちゃいますか」
と飄々と話していたこともあり、引退の発表は寝耳に水だった。しかし当の本人は、だいぶ前から決めていたことだったと話す。
「具体的に何月何日というのは覚えてませんけど、W杯の前には決めてました。というより、だいぶ前だったように記憶してます」
決断のタイミングは2022年の暮れから、2023年の前半にかけてのことだったらしい。
これまでいろいろな競技の取材を続けてきたが、選手が引退を迫られるのは、次のように大別される。
(1)自分が体力の限界を悟ったとき――横綱・千代の富士に象徴される。
(2)チーム競技において必要とされなくなったとき――どんな競技でも、シーズンオフには解雇される選手が出てくる。それがきっかけとなって引退。
(3)セカンドキャリアに進もうとしたとき――ワイルドナイツの後輩である福岡堅樹は医学部に進んだ。
堀江の場合は(3)に該当する。新しいキャリア、トレーニングの分野に早く進みたいという気持ちが強くなったからだという。
これには説明が必要だろう。
“南ア撃破”の前に決断していた首の手術
堀江のキャリアの転機となったのは、2015年2月に首の手術をした時である。W杯イングランド大会は7カ月後に迫っていたが、首の不具合は左腕のしびれを誘発し、左手の握力が9kgにまで落ちていた。
「手術を選んでW杯になんとか間に合わせないとなあ、と思ってたときに、トレーナーの佐藤義人さんと出会ったんです。“ゴッドハンド”と聞いてたんで、なんか仙人みたいな人が来るんかと想像してたら、チャラい人が来て(笑)」
佐藤との協同作業はこのときから始まった。それは首の治療だけではなく、首を支える体の構造の理解から始まった。
それまで堀江はほとんどの選手と同様、ベンチプレスなど身体の前側を中心に鍛えていた。しかし、佐藤のメソッドは違っていた。首と背中の動きのアラインメント、連動を重視し、背骨を支える細かい筋肉に働きかけていく。
「トレーニングを始めて、そういうことやったんか、という感じでしたね。佐藤さんの師匠にあたる人がいて、『首の手術はする必要がなかったかもしれない』と言われたこともありました。つまり、ヘルニアを誘発していた身体の機能的な問題を解決しないと、また同じことの繰り返しになる可能性があったということです」
佐藤との出会いによって堀江の身体は甦り、W杯では2015年の南アフリカ撃破、2019年日本大会での8強進出、そして2023年大会は37歳にして先発のフッカーとして活躍した。
堀江の身体、トレーニングへの興味は深まるばかりだった。それは「沼」だったのかもしれない。自分のキャリアを救ってくれたメソッドを広めようと、佐藤と共同でトレーナー育成プロジェクト、STA(SATO TRAINERS ACADEMY)を運営するまでになった。
「ここ数年、佐藤さんのメソッドを広めていきたいという気持ちが徐々に膨らんできてたのは間違いないです。30歳のときよりも、今の僕の方が間違いなく良いと思っているので。このメソッドが広まっていけば、日本のアスリートがもっと上に行けるんじゃないかと思ってるんです」
堀江は機会があるたびに、京都・木津川にある佐藤のもとへ通ってトレーニングを行ってきた。最近はあらゆる競技のトップアスリートが佐藤のところを訪れるので、自然と交流が生まれる。サッカー、バスケットボール、スキー。佐藤のSNSを見ると、大相撲の炎鵬もトレーニングに訪れていた。
「佐藤さんのところに来るアスリートを見ていると、受傷後に必ずしも適切な治療やリハビリをしているとは限らないんだなと感じます。ということは、本当はもっと現役を続けられたのに、諦めてしまった選手たちがこれまでもたくさんいたんやろな……と思ってしまうんです。もったいないじゃないですか」
「基本姿勢はマジでよくなりました」
堀江の場合は、首を安定させるためにトレーニングの内容を変えた。
「30歳まではフツーのウェイト・トレーニングしてました。上半身はベンチプレスとかばかりやっていたんで、筋肉が表側について、前に引っ張られている状態だったんです。佐藤さんと出会ってからは、トレーニングで注力する場所を全部背中の方、インナーの骨に近いところの中心部の筋肉を動かしていくのが僕の目標になりました。ヘルニアだからといって、首を鍛えてもダメなときはダメなんです。横から衝撃を食らったら、支えきれませんから。でも、背中と首が一緒に動けば、対応できるんです。トレーニングの結果として、基本姿勢はマジで良くなりました」
堀江の解説によれば、現代人はパソコンでの作業、そしてスマートフォンを見る時間が多くなり、ストレートネックになっている人が多い。
「首だけが前に出ているような感じの人、多いですよね。首と背中が別々に動いている状態になってるんです。ところが、首と背中が連動して一緒に動くようになると、支えられるようになります。首、背中のそれぞれの部位は鍛えつつ、腰から背中を通って、首の骨までをつなげるようなイメージでトレーニングしてきました。筋肉で身体を中から埋めていくような作業です」
佐藤が立てたメニューを、堀江はリモートで実施した。この動きが正しいのか否か。発想は合っているのか。疑問があれば、すぐに佐藤と連絡を取り、理解を深めていった。すると、体の構造、動かし方の“沼”にハマっていく。
「これはあくまで僕の見方ですけど、ラグビーでは自分でステップを切ったときに、いわゆる“自爆”するケースって結構あるんです。でも、自分の動きでケガをする人って、真面目な選手が多いです。トレーニングを欠かさずやっている選手に限って、ケガをすることが多いんじゃないかと思ってて」
堀江の見立てでは、受傷したことでより鍛えなければならないと思い、さらにトレーニングに励んでしまう。しかし、ケガを誘発した原因を除去していないため、また同じケガをするケースが見られるという。
「前十字靭帯をケガするラグビー選手が後を絶たないです。たとえば、左にステップを切る時に右膝の前十字靭帯をケガしてしまう場合、一生懸命スクワットをやっている選手だと、太ももの外側に筋肉がついていて、外側に引っ張る力が働きます。つまり、踏ん張った右足の方に引っ張られる。でも、自分は左に行きたいから膝の部分がねじれてしまう。前十字靭帯はねじれに弱いですし、そこにウェイトトレーニングで鍛えた上半身の重さが加わると、前十字靭帯をケガするリスクが高まるんじゃないかと思ってるんです」
適切なトレーニングで、健康な生活を
ケガを誘発した原因を探り、トレーニングによってそれを除去していく。実はトレーナーの佐藤はビーチサッカーの元日本代表の選手で、前十字靭帯断裂を自力で治した経歴を持つ。堀江は選手たちの充実を図るために、引退後はSTAの活動に本腰を入れるつもりだ。
「治療とかはしません。佐藤さんがゴッドハンド過ぎるんで、僕には手出しできないです(笑)。でも、こういう考え方を広めていけたら、もっともっと日本のスポーツは強くなるんちゃうかと思ってて。だって、僕の場合は首の治療をしたあとの方が明らかにコンディションが良いですから。それだけじゃなく、50歳を過ぎて、肩や腰、膝が痛いと感じてる人たちって多いと思うので、それで悩んでいる人たちが適切なトレーニングをすれば、より健康的に生活できるはずなんです。このメソッドは日本ではまだ少数派ですけど、もっと広めていく活動をしていきたいなと思ってます」
しかし引退前に、リーグワンでの王座奪還という大仕事が残っている。
「いまの自分のラグビー選手としての状態ですか? とても良いと思います」
堀江のラグビー観はどこに到達したのか。次回からはその発想を探っていく。
〈つづく〉※第2回は近日公開
文=生島淳
photograph by Kiichi Matsumoto