今シーズン限りでの現役引退を表明した岡崎慎司(37歳)。新人時代からサポートするトレーナー杉本龍勇(たつお)氏の証言で歩みを振り返る。(NumberWebインタビュー全2回)

「岡崎は最初の10mが速い」

 ワールドカップ3度出場。日本代表通算50得点。レスター時代には、プレミアリーグ制覇。日本サッカー史に名を残すストライカーへ成長した岡崎慎司に、もはや「鈍足のカメ」の印象はない。むしろ瞬時に路地裏へ逃げ込む野良猫のイメージ。敵のマーカーが一瞬目を離した隙に、ディフェンスラインの背後に飛び出し、ゴールをこじ開ける。

 その走りの特徴を、2005年から岡崎のフィジカルをみてきたトレーナー杉本龍勇はこう解説する。

「加速力。これが抜群です。例えば50m走ならば、岡崎よりも速い選手はたくさんいると思います。でも、岡崎は最初の10mが速い。トップスピードに到達するまでの時間がとても短いんです。これは特にFWにとって大きな武器になります。しかも岡崎は、動き出しと加速を何度も繰り返すことができる。彼は物覚えが悪くて、走りの技術を習得するのに時間はかかりましたけど、コツコツ努力をできるタイプだからこそ、一度習得した技術は簡単には失われない」

“ダイビングヘッド”が減った理由

 一生ダイビングヘッド。これが岡崎の座右の銘だ。中学時代からニアへ泥臭く、頭から飛び込むことを教えられ、プロになってからもずっと大切にしてきた。ただし、意外にも岡崎がヨーロッパへ渡ってからのゴールシーンに、ダイビングヘッドは少ない。これこそ彼の進化だと、杉本は言う。

「昔は、頭から飛び込まなきゃ間に合わないからこそ、ダイビングヘッドをしていた。でもプロになって、走りの質が上がったことで、足でクロスに合わせられるようになったんです」

 象徴的なのが、レスター時代の2015年8月15日。ウェストハム戦で決めた、プレミアリーグ初ゴールの場面だ。前半27分、左サイドに流れたジェイミー・バーディーにボールが渡った瞬間、一気にアクセルを踏んでゴール前へ向かった。バーディーがニアサイドへクロスを送ると、加速十分の岡崎が選択したのは頭ではなく、足でのボレーシュート。右足インステップで的確に捉えたボールがゴールネットを……揺らさない。

 これも岡崎らしさだ。GKが弾き、空中に漂ったボールをジャンプ一番、泥臭く頭で押し込んだ。杉本は言う。

「GKが弾いたところに、また入って行けるのも岡崎の凄みです。欧州に渡ってからの動きは、エスパルス時代とは比べ物にならないほど洗練されました。走りだけでなく、ポストプレーやドリブルも、試合を重ねるごとに上手くなっていった。マインツやレスター時代には見事なオーバーヘッドも決めましたけど、あんなシュート、清水時代には絶対できなかったですからね」

出世しても変わらない姿勢

 岡崎が欧州へ渡ってからも、杉本による個人指導は続いた。オフ期間の対面トレーニングだけでなく、杉本が動画とテキストで練習メニューのポイントを送り、実際に岡崎が実施した映像を見て、改善すべき点をフィードバックした。

 岡崎の学ぼうとする姿勢も、ルーキーの頃から変わらなかった。どれだけ代表とクラブで実績を積み上げても、謙虚で、貪欲で、誰からも愛されて、イジられる。そんな人柄だから、杉本が岡崎に「お説教」したのは、たった一度だけだ。

 マインツ時代の2014年4月、ニュルンベルク戦でシーズン14点目を決めた後のことだ。このとき、岡崎は香川真司が持つブンデスリーガ日本人選手シーズン最多得点記録を更新したばかりだった。いつものように電話で話していると、岡崎が冗談交じりにこう言った。

「最多記録を抜いたんで、もういいっしょ」

 現状に満足することなく、前へ、前へ。そうやって岡崎が成長してきたことを、杉本は知っている。だから、声のボリュームを上げて言った。

「お前、ふざけんな。言い訳がましく、香川真司の名前を出すんじゃねえよ。開幕前に『15点取る』って言ったんだから、絶対もう1点取れ!」

 打てば響く男だ。シーズン最終節、岡崎は見事に15点目を決めた。最終ラインの背後に走り込んでスルーパスを受け取ると、深い切り返しで相手DFを抜き去り、左足で突き刺した。「泥臭い」とは程遠い、「洗練された」一撃だった。

選手寿命が延びることは、実は不幸せ?

 2005年に出会った「へたくそ」な高卒ルーキーも、37歳になった。今年2月28日、杉本は自身のX(旧ツイッター)で、こうポストした。

『自身で幕引きが出来る、そして惜しまれながら辞めるということは幸せなこと。それはある種、良い評価を社会からされていることの証』

 2日前に現役引退を表明した岡崎へのメッセージだ。実はこの数カ月前から、杉本は引退の意向を聞いていた。シント=トロイデンでのプレーぶりを見ても、正直、まだ現役を続けられると感じている。できればキャリアの最後はエスパルスでプレーしてほしいと、密かに願っていた。ただ、こうも思う。

「岡崎に限らず、ここ最近、選手寿命は伸びています。これって、プレーヤーにとっては幸せなことですけど、セカンドキャリアへの移行を考えると、実は不幸せなんじゃないかとも思うんです。岡崎はこの1、2年で、将来は指導者をやりたいという思いが、しっかり定まってきた。あいつ、引退について相談してきたときに、ぽろっと言ったんですよ。『もうこれ以上、上手くならない感じがする』って。ならばここで辞めて、指導者への道をスタートするのも自然な流れでいいのかなって、思いますね」

 サッカーが上手くなりたい、足が速くなりたい。そう心から願い続けて、みんなに引退を惜しまれる名ストライカーに成長した。今度は指導者として、選手たちの願いを叶えてほしいと、杉本は思っている。

「僕が指導してきた中で、最も走りの才能がなかった選手の一人が岡崎です。そんな男がプレミアリーグで優勝して、3回もワールドカップに出た。足が速くなって、フィジカルが強くなって、テクニックまで身につけた経験があるからこそ、『岡崎監督のもとでプレーすれば上手くなる』と言われる指導者になってほしい。戦術とスキルとフィジカルを分断するんじゃなくて、この3つをワンセットで教えて、個々の能力を引き上げられる。そんな指導者になってほしいんですよね」

 先日、杉本は岡崎から電話で相談を受けた。シント=トロイデンに、杉本による指導を受けたいと希望している日本人選手がいる。その選手に対して、事前に岡崎がフィジカルトレーニングを教えてみたい、という内容だった。杉本は即答した。

「いいと思うよ。お前なりにトレーニングの意図と狙いをもう1回解釈して、それを言葉で説明できるようになれば、それは指導者としての練習にもなる。言語化できるってことは、大事だからね」

 彼の指導によって、きっと「第二の岡崎慎司」が生まれると、杉本は信じている。ただし、それは先の話。今季のベルギーリーグと岡崎の現役生活は、まだ終わっていない。だから、杉本は電話の最後にこう付け加えることを忘れなかった。

「お前はまだ選手なんだから、『お疲れさま』は絶対言わねえぜ」

(前編から続く)

文=松本宣昭

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