2023ー24年の期間内(対象:2023年12月〜2024年4月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。箱根駅伝部門の第4位は、こちら!(初公開日 2024年1月8日/肩書などはすべて当時)。

語り継がれる名勝負を審判が振り返る連載『審判だけが知っている』。今稿では、第87回箱根駅伝で審判長を務めた吉儀宏さんの登場回を特別に無料公開します。【初出:Sports Graphic Number1042号(2021年12月16日発売)】

第87回 東京箱根間往復大学駅伝競走
2011年
1月2日〜3日/東京〜箱根

大学駅伝三冠を狙う早稲田は1区に大迫を起用し4区まで独走。3連覇を狙う東洋は5区柏原がトップに立ち往路を制したが、6区で再逆転を許すと差が拡大。8区から10区まで区間賞の猛追も、早稲田に史上最僅差の21秒及ばず。シード権争いも10位と11位が3秒差という大激戦に。

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 87回大会を振り返って、真っ先に浮かんでくるのは芦ノ湖の雪景色です。復路当日の朝に起きてみると、一面にうっすらと雪が積もっていた。この雪で何か事故が起きなければいいな、と心配したのを覚えてます。私は81回から90回大会までの間に、9つの大会で審判長を務めましたが、レース中は本部車に乗り込んで、各中継所や審判員から無線で入ってくるあらゆる問題に対処するのが常でした。

 あの大会は大迫(傑)を擁する早稲田と山の神の柏原(竜二)がいる東洋が大変な接戦を演じた年。でも正直、順位やタイム差はほとんど記憶にありません。それよりもやはり、アクシデントの方をよく覚えてます。雪はやんだけど路面は濡れていて、6区では早稲田のランナー(高野寛基)が足を滑らせて転んだでしょ。本部車は先頭集団のすぐ後ろにいることが多いから、あれは目の前で見ていました。

 もし彼が走れなくなって競技続行が不可能と判断すれば、私が赤旗を出してランナーを止めなければならない。大丈夫かなと思ったら、すぐに立ち上がってまた走り出したので、ホッと胸をなで下ろしたものです。

 スタートからゴールまで2日間でどれくらいの学生補助員が出ているかご存じですか? 約30mごとに学生補助員が延べ3000人、そして100mごとに審判員がついて、人が飛び出さないか、目をこらして沿道を管理しているんです。

 無線連絡が忙しくなるのは、トップの順位が入れ替わりそうな時。この大会では10区がまさにそうでした。

 襷が渡った時点で40秒ほどの差だったのが、東洋の選手がトップ早稲田との差を詰めて、御成門辺りではもう20秒ほどの差になっていた。20秒というと距離にすると100mちょっとです。そこに東洋の酒井(俊幸)監督の乗る車から無線が入って、「中継車が間に入っているから前を追えない」と。監督が乗る車にも1名ずつ審判員が乗っているんですけど、そういう要望があったんです。

中継車に「どきなさい!」

 確かに選手からすれば前の選手が見えるかどうかは心理的にすごく大きい。ですから私はすぐに本部車を日テレの中継車に横付けするように指示して、「どきなさい!」と言いました。「後ろのランナーに前を行くランナーの背中を見せてやれ」と。そういうことを言えるのは審判長だけですから、的確な指示を出さなくてはなりません。

 あの時はフィニッシュ後に監督会議があって、酒井監督がそこで手を挙げてこんなことを言ってくれました。

「10区でうちのランナーが前が見えなくて困っていたところ、審判長が毅然とした態度で中継車をどかしてくれた。御礼を述べたい」と。それを聞いて自分の指示は間違ってなかったんだ、と嬉しくなりましたね。

 それともう一つ、この大会で忘れられないのは10区で起きたシード権争いです。

 残り8、9、10位までが来年のシード権を得るのに、4人のランナーがほぼ横一線でゴール近くまでなだれ込んできたのです。残りが200mほどとなった時に、何を思ったのか、國學院の選手(寺田夏生)だけが前を走る中継車についていってしまった。事前にあれほど周知させていたのに、彼は当日変更で気持ちが舞い上がっていたのか、監督から聞いていたことを忘れていたようです。

 道を間違えたことに気がついて、慌てて引き返して前の3人を追います。順位が10位と11位では天と地ほどの差がありますから、ハラハラしながら見ていました。何とか抜き返してゴールしたので、あれにもホッとしましたね。

 くしくもあの大会は、テレビ中継車が2度、レースの行方に大きな影響を与えかけた。どの大学が勝ったとか、区間賞を誰が取ったかよりも、そのことが強く印象に残ってます。

【初出:Sports Graphic Number1042号(2021年12月16日発売)】

吉儀 宏Hiroshi Yoshigi

1944年、島根県生まれ。順天堂大教授・スポーツ科学科長を務めた一方、日本陸連競技運営委員長や関東学生陸連副会長などを歴任。長年携わった箱根駅伝では81回大会から審判長。

文=小堀隆司

photograph by JIJI PRESS