前回は私に脳動脈瘤が見つかり、リスクの高い開頭手術をすべきか悩んだとき、自分の中から聞こえてきた声に従ったこと、そして脳の名医がいる札幌禎心会病院にたどり着くまでを。
今回はその続きを綴つづります。


天才脳神経外科医、上山博康先生からどんな診断が下るのか。
先生は優しい笑顔で私の目を見て「どうしたいですか?」と聞かれた。

「あなたの動脈瘤は大きいが破裂するとは限らない、一生破裂しないかもしれない。でも破裂したら場所から言って助からないか、重度の後遺症が残るだろう。しかし手術をしたから助かるとも限らない。開頭手術だけでも負担は大きいから、開けてみて決める訳にもいかない。答えが分からない以上、自分のしたい方を選んでください」と。

先生が最後の審判をしてくれるものと思ってはるばるやって来たのにと、振り出しに戻ったような気持ちになりながらも「母方の家族がみんな脳で命を落としているから自分はそれを断ち切るためにも、不安だけど手術がしたい。きっと破裂すると脳が話しかけてきたっていうか、声がしてですね…」と、私はすでに頭がやられていると診断されそうなことを破れかぶれに話した。

すると上山先生は大きな声で「それは正しい! 僕は西洋医学の医者だけど、スピリチュアルなものを信じてるんだよ。人間の体はそれがひとつの宇宙、見事な惑星なんだ。たとえば地球に例えると腸が村で、血管が川みたいにね。それぞれの細胞はいろいろなことを伝えている」。

先生曰く、見えない脳の中を私がひたすら考えて、自分の内側に意識を向け続けた結果、細胞たちのメッセージが聞けるようになったのだろうと。
そして人間がいろんな超能力を持っている証明にご自分のお母様のお話をしてくださった。

子どもの頃、運動会のかけっこで何位になるかお母様が前日に夢見て当てたとか、学校の成績の順位を点数まで正確に当てたなど。
不思議で深くて、ほのぼのしたお話に私はいつの間にか声を上げて笑っていた。

そして、遺伝というのは結局「お袋の味」が作るんじゃないかとお考えになっていること、身近に自分に似ている年配の親族がいたら、その人がどの年齢でどんな病に罹かかったか調べて、自分の検査のガイドにするといいということなどをお話しくださった。

楽しい世間話のようなときが過ぎた後、「もし手術をするなら、僕は絶対にあなたを助けます。そんなこと医者が言ってはいけないんだけどね、絶対はないから。でも、あなたは私を信じて命を委ねるしかない。だから私も自分の全てを懸けて向き合います」と。

私は手術の日を決めて笑顔で診察室を後にした。

病状も手術のリスクも変わらないのに私の状態は変わっていた。
同じ命懸けの医師がいてくださることで、孤独だった不安が消えて、前に踏み出す勇気と覚悟ができた。

名医というのは病の前に、心を手当てするのかな。
張り詰めていたものが緩んだのか、動脈瘤が見つかってから初めて涙がこぼれていた。

手術の前の晩、その年の演劇賞にノミネートされたと連絡が入った。
あの声を信じてやった作品も対象に入っていた。若いときから導いてくれた演出家の栗山民也さんにどうしてもお礼だけは伝えておきたくて病気のことにはふれず電話した。

上山先生を信じていたけれど、もしもの時に後悔したくなかったのだ。

6時間の手術は上山、太田伸郎医師チームのお陰で大成功。
そして私の動脈瘤は破裂寸前だったそうだ。
後から見せてもらった手術の動画には、弾けんばかりのイクラのような瘤こぶが映っていた。

自分の脳を見るのは変な感じだが、この子たちが私にいろいろ教えてくれていたんだと思うと、憎らしさよりむしろ愛おしさが込み上げてきた。

私達はひとつの宇宙のような生命体で、細胞も意識もその一部分なのだ。
私もあなたもひとつの見事な惑星だ。そして危険が発生すると自分の細胞だけじゃなく、沢山の星達が手を差し伸べてくれるのだ。

私はいつの間にか頭と心と体の細胞がバラバラになって生きていた。
忘れていた大切なことを教えてもらった。

脳の不思議は他にもあって、術後、無性に絵が描きたくなり、普段描かないような精密な色鉛筆画をベッドの上で描き始めた。
たくさん色が欲しかったけれど、俳優の斎藤工くんが東京から80 色もの色鉛筆を送ってくれた次の日、その欲求が突然収まったという……。

MISUZU KANNO
神奈川県鎌倉市出身。第47回紀伊國屋演劇賞 個人賞、第27回読売演劇大賞 最優秀女優賞を受賞。主な出演作に舞台『メアリー・ステュアート』『組曲虐殺』、ドラマ『マイファミリー』、映画『LOVE LIFE』『37セカンズ』など。待機作に4月期TBS日曜劇場『アンチヒーロー』、映画『不死身ラヴァーズ』などがある。


文/神野三鈴 撮影/枦木功[nomadica] ヘアメイク/奈良井 由美

大人のおしゃれ手帖2024年6月号より抜粋
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