先日、ひょんなことからアニメ版『HUNTER×HUNTER』をはじめて見た。序盤のエピソードとして、川を泳いでいた魚が獲物を捕らえようと食いついた瞬間、木の上でその魚の様子を窺(うかが)っていた鳥に背後からサッと捕らえられる……という光景を目の当たりにし、「人がもっとも油断するのは、他者を攻撃しようとしているまさにその瞬間だ」という真理に主人公が辿(たど)り着くシーンがあった。

これは実感が非常に湧きやすい教訓だ。卑近な例でいえば、ゲームセンターでエアホッケーなんかをしているときにいつも感じる。エアホッケーで失点するときというのは、相手のゴールに自分の円盤を入れようと腕を伸ばした瞬間か、勢いあまって自分の打った円盤が跳ね返り、オウンゴールを決めてしまう瞬間と相場が決まっている。やはり攻めの姿勢に入った瞬間というのは、防御がどうしても疎(おろそ)かになりがちなのだろう。

私は深くうなずきつつ、え、でも……とふと思う。そういえば、「攻撃は最大の防御」ってことわざあったよな。調べてみると、こういった言い回しは古代からあるようで、孫子も紀元前500年前に兵法書のなかで同様のことを言っているらしい。

一方的に相手を攻撃しているうちは、攻撃に回る隙を相手に与えないからというのがその理由らしいのだけれど、いや、絶対そんなことないよな……とちょっと真顔になってしまった。体言止めで格言っぽく言い切っている言葉としては、さすがにちょっとケース・バイ・ケースすぎる。ハンター試験を受けたあとの孫子ならきっとこうは言わなかったろう。

そんなことを反芻(はんすう)しているうちに、ことわざってたまに、めちゃくちゃ納得いかない言葉あるんだよな……と日頃から考えていたのを思い出した。せっかくなので、ことわざ側には申し訳ないが、今回は私が感じている「共感度の低いことわざ」トップ3を発表していこうと思う。

◇3位:暑さ寒さも彼岸まで

暑さは秋分の日、寒さは春分の日ごろまでには和らぐという意味の言葉だけれど、ちょっとこれは、二十四節気の季節感が現代にそぐわなくなってきつつあることの割をいちばんに食っていることわざといえる。「お彼岸過ぎてるのに暑いね……」という言葉を去年もよく聞いた記憶がある。

また、私はとにかく寒さが苦手で、毎年1月ごろになると「冬 いつ 終わる」というワードで3日に1回くらい検索しているのだが、「3月20日に終わります」というAIによる回答が上位表示されるたびに、こっちはそういうことを聞きたいわけじゃないんだよねとイライラしてしまう。ただ、これはことわざ側に非があるわけではないから強く責めにくいところ。

◇2位:喉元過ぎれば熱さを忘れる

悶絶するほどつらいこともその瞬間を過ぎれば忘れる、という教訓としての完成度は高いものの、熱いものを飲み込んだときの痛みの持続時間ってもうすこしあるよな、とどうしても思わされてしまう。ほんとうに熱いものを飲み込み、食道から胃のあたりまでがカッと一面熱くなるあの感覚を味わうたびに、「喉元過ぎてるのに熱すぎるだろ、あの嘘つきめ」とやりきれない怒りを覚えてしまう。風邪でそもそも喉が痛いときなど、自分の体のコンディションによっては嘘度がぐっと上がる。

◇1位:魚心あれば水心

「相手が好意を示せばこちらも好意を持つ」ということわざの意味自体には、まあ、たしかに……くらいの納得感はある。これに関しては、たとえのワードチョイスがかなりよくない。辞書を引くと“魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心がある意から”とさらりと書かれているのだが、さすがに無理がありすぎる。“魚に水と親しむ心があれば”まではなんとか見逃せても、“水もそれに応じる心がある”は看過できないレベルだ。「いや、水は応じないだろ」というシンプルなツッコミを待ってすらいるのではと感じてしまう。

花が咲く場所では土も肥えるとか、革は使い込めば使い込むほど自分の手に馴染(なじ)んでくるとか、もうすこし相関関係がわかりやすいたとえならいくらでもあったろうに、なぜよりにもよって“水心”というフィクション性が高くイメージの湧きづらいものを選んでしまったのだろう。ただ、言葉の響きだけでいえば当人のパッションはよく伝わってくるので、私がことわざの採用担当者だったら「心意気を買いたい」という一心で採用している可能性もある。

ちなみに、近いレベルの“フィクションさ”でいうと「鴨が葱(ねぎ)をしょってくる」も挙げられるのだが、こちらは絵面がよすぎるのであまり糾弾したくない。

ここまでいろいろと好き勝手書いてしまったが、ことわざに悪態をついただけの回というのもなんとなく気分が悪いので、個人的な共感度の高いことわざについても最後にすこしだけ記しておきたい。

◇人の噂も七十五日(共感度:★★★☆☆)

これはほんとうにそう、と思わず唸らされてしまう。75日という日数の選びかたも絶妙。SNSやネットニュースの登場によって日々の話題の移り変わりがいっそう激しくなっているとはいえ、世間を騒がす大きなゴシップには、たしかに丸1か月くらいのあいだ注目が集まりつづける。しかし翌月に入ったあたりで一気にペースが落ち、およそふた月が過ぎたころには続報すらも聞かなくなることがほとんどだ。

私は政治家の汚職などの報道をわりに何年も覚えているほうなので、世間は忘れても私は忘れないからな……と恨みを募らせることも多い。

◇春宵一刻値千金(共感度:★★★★★)

個人的なことわざランキングNo.1を何年もキープしている実力派である。もとは蘇軾(そしょく)の漢詩の一節なのだが、まず、音読したときの響きと字面の美しさのポイントが飛び抜けて高い。しゅんしょういっこくあたいせんきん、といちど声に出してみてほしい。軽やかだけれどラストの音でぐっと印象が締まる感じもあり、美しさと渋さを併せ持っている。

さらには、実感としても「そのとおり」すぎるのがいい。花見の帰り、酔いを感じながら夜道をふらふらと歩いている春の晩、「こ、これは値千金(千金にも換えがたい)……」と感じたことのある人はたぶん多いはずだ。感じたことがなかったかも、という人はこれからぜひとも感じてほしいところ。4月はとくに春宵一刻値千金チャンスが多いおすすめの月だ。ちょうどいい気温の夜があればこの言葉を思い出し、うわ、値千金すぎ、と思ってみてほしい。(エッセイスト 生湯葉シホ)