ベルリンの街を歩いていると、歴史を振り返るきっかけとなる記念碑に多く出会う。ブランデンブルク門のすぐそばにあるドイツ連邦議会議事堂を訪ねようと、緑地の中のシムソン通りを歩いていくと、右手に「国家主義社会体制の下で殺されたシンティ・ロマのメモリアル」がある。1992年に政府がロマの殺害についての記念碑を建てることを決め、虐殺についての説明板とともに、2012年に完成させたもの。決定から公開までに20年の歳月を要している。庭園の中に泉がつくられ、中央には今も毎日欠かさず新しい花がささげられている。所々、周囲の石畳に刻まれているのは犠牲者の名前だ。庭園に入って泉を正面から見ると、背景には連邦議会議事堂。この場所に虐殺の記念碑を建てるということ自体に、歴史に対する責任や記憶することへの決意が見える。

 この庭園のすぐそば、やはり議事堂の目と鼻の先に、迫害されたり殺されたりした9人のロマの人々の写真入りの屋外パネル常設展示もある。どんなふうに迫害されたのか、どう抵抗したのか、そして権利を獲得するためにどう行動したのかなど、パネルの説明だけではなく、動画で見ることもできる。日本でいえば、永田町に加害の歴史を振り返る常設展示があるようなものだ。過去の戦争をどれだけ真剣に考え、しかもそれを目に見える形で表現しているかを日独で比較するのは難しくない。


 そして、過去の過ちを繰り返すまいという別種の努力が見える場所もある。ヒトラーが1935年に総統官邸の中庭に設置させた地下壕の跡だ。ここもブランデンブルク門から歩いてすぐの場所だが、今はただの駐車場になっていて、説明パネルを見過ごさないよう気を付けていないと通り過ぎてしまうような場所だ。パネルには、30近い部屋に仕切られていたという当時の地下壕の見取り図が描かれ、その様子が説明されているが、ベルリン市街戦の末期にヒトラーが自殺したといわれる場所でもあり、“ネオナチの聖地”などに利用されないよう、徹底的に当時の痕跡が消されている。


 もう一カ所、印象的な場所を挙げるなら、フンボルト大学の向かい側、ベルリン国立歌劇場のすぐ横にあるベーベル広場だ。一見、ヨーロッパならではの広い空間、ベンチに座ってひと休みできる気持ちの良い場所だが、よく見ると中央の地面にガラス張りの一角があり、下をのぞくと白い空の本棚が見える。この場所は1933年、大学生たちが「反ドイツ主義」の書物を2万巻以上焼いたといわれる「焚書」の現場。「書物が焼かれるところでは、いずれ人間が焼かれるようになる」という詩人ハイネの言葉がプレートになって埋められている。ユダヤ人だったハイネの著書は焚書の対象だったが、書物が焼かれても残った彼の言葉は、その後のナチの時代を震えるほど正確に予言していたことが分かる。

(text by coco.g)