日本ではほとんど知られていないモンテッソーリの小学校教育について、モンテッソーリ小学校教師の国際資格(AMI公認)を持ち、0歳から幼児と小学生が通えるモンテッソーリ教室「モンテッソーリ・ファーム」を立ち上げたあべようこさんが、6〜12歳の子どもの特徴から考える、大人がしてあげるべきサポートについて解説します。

※本記事はあべようこ著『学ぶのが好きになる! 小学生のためのモンテッソーリ教育』(河出書房新社刊)より一部抜粋・編集したものです


児童期の小学生には、どんな特徴があるの?

モンテッソーリは子どもを観察して、子どもには自分で自分を育てる「自己教育力」があること、そして、子どもの発達には4つの段階があることを見出しました。

その段階とは、①「乳幼児期」、②「児童期」、③「思春期」、④「青年期」です。それぞれの段階に、その年代特有の特徴があります。それぞれの世代に適したやり方で、大人が学びをサポートするために、欧米には、モンテッソーリ教育の幼稚園や小学校を始め、中学校以上の教育機関もあります。

小学生は、発達の4段階のうち、②「児童期」にいます。その特徴は、①「乳幼児期」の子どもと比べてみるとわかりやすいので、並べてみます。


家族から離れ、クールになる児童期

では改めて、表の中から、特徴的な点について見ていきましょう。

まず、「乳幼児期」と「児童期」の子どもの違いでわかりやすいのが、児童期は親から離れていく時期ということです。なぜなら、児童期の子どもには、家族から離れて、お友だちとグループで過ごしたい、という気持ちが芽生えるから。個人差はありますが同性のお友だちを好むことも多くなります。

幼稚園児の頃は「ママ!」「パパ!」と後をくっついてまわっていた子が、小学生になったとたんに、家族より、お友だちと遊びたがるようになった。親の後追いをしなくなった。以前ならお見送りのときは、いつまでも親のほうを見てぐずっていたのに、今では「行ってくるね!」と言ったきり、こちらを振り返りもしない...。

わかります、親としてはちょっぴりさみしいですよね。外で手をつなごうとしたら振りほどかれて、さっさと歩いて行かれた、なんて経験もするかもしれません。

でも、こうしてどんどん淡々としてクールになっていくのも、児童期の特徴のひとつ。他にも、道徳心が発達することで、正義感が強くなって、「不公平だ! ずるい!」などと言うようになるのも特徴です。

しょっちゅう言われると、親としてもちょっと疲れてしまいますが、「これも、児童期の子どもの特徴なんだ」と知ると、なんだかホッとしますよね。


想像力や、抽象化する力が育つ

児童期の更なる特徴として、「想像力や、抽象化する力が育つ」という点があります。抽象化とは、複数のものごとに共通する"本質"を抜き出すこと。


例えば幼児は、大人に教えられた通り「アヒル」「鳥さん」と名前を覚えるだけですが、児童期に入って抽象化する力が育つと、「クチバシがあって、羽があるから.......アヒルは犬でも猫でもなく"鳥"なんだ!」と考えられるようになります。これまでの経験から、鳥の共通点である"本質"を抜き出せるようになるんです。

これができるようになると、幼児の頃のように具体物を見たり触ったりしなくても、自分の頭の中だけで、さまざまなことを処理できるようになります。

「鳥って、だいたいこんな生き物だよね」と実物や写真を見なくても想像ができるし、実際にリンゴを持ってきて「1個、2個……」とやらなくてもそれ以上の数を想像できるようになります。

抽象化力や想像力を駆使することで、最終的には、紙と鉛筆だけで計算できるようにもなっていきます。


「推論する心」が芽生え、論理的に考える

抽象化力や想像力が育つと、ものごとの背景を「推論する心」も育ってきます。

それ以前の乳幼児期の頃、特徴的なのは「吸収する心」でした。「吸収する心」とは、見たもの、聞いたものを、そのままコピーする能力のこと。この能力のおかげで、身近な人の言葉やしぐさを、まるで写真に撮るように、そっくりそのまま学び取れます。

0〜6歳の乳幼児期はこの能力が強いため、生まれ育った場所の言葉や文化、身近な人の動きなどを、たちどころに身につけ、生まれてきた世界に適応することができました。

しかし、6歳前後から、この能力は徐々に消えてゆき、「推論する心」が芽生えてきます。抽象化力や想像力の高まりとともに、ものごとの因果関係を推測しようとする心が育つのです。

子どもの論理的思考が強くなる時期なのです。このタイミングで、子どもの質問が「何?」から「なぜ?」に変化します。それまではリンゴを見て「これ何?」だった質問が、「なぜリンゴは秋になると赤くなるの?」と因果関係を問うようになるのです。

あなたもきっとお子さんに立て続けに「なぜ?」「どうして?」と質問されて、タジタジになったことがありますよね。実はこのとき、子どもの「なぜ?」を大切にして、子どもが自分で考えられるように大人が手伝ってあげると、子どもは学びが大好きになります。

なぜなら、モンテッソーリいわく、児童期の子どもの願い(魂の叫び)は、「自分で考えられるように、手伝ってね!」というものだからです。自分の身体をまだ思い通りに動かせない乳幼児期の魂の叫びは、「自分でするのを、手伝ってね!」というものでした。

けれど、発達の第2段階に入り、思い通りに体を動かせるようになった児童期の子どもは、次に「自分で考える」ことを本能的に求めます。つまり児童期は「自分で考えたい」「学びたい」「世界の全てを知りたい」という意欲が、ものすごく高まる時期なのです。

このことについて、モンテッソーリはこんなことを言っています。

「知識は学びたいという意欲があるところで与えられるのが最善です。6〜12歳の子どもの脳と心は、蒔いたすべての種を芽吹かせることができるくらい豊かな土壌です。そして、この時期の子どもたちは、社会や文化の中で芽吹くであろう学びの種を、受け取る準備が出来ています」
(『人間の可能性を伸ばすために 実りの年6歳〜12歳』マリア・モンテッソーリ著/田中正浩 訳/青土社)

子どもに「学びの種」を蒔くのに最適な時期、それが、児童期です!


自由に選べて、ワクワクできる環境で、子どもは学びが好きになる

ですから、児童期の子どもをサポートする大人の役目は、「学びの種」をできるだけたくさん蒔いてあげることになります。

ただし、ここでいう「学び」とは、学校の教科書を暗記したり、そこに載っている公式を使って問題を速く解くことを求められる、いわゆる「勉強」とは異なります。

本稿でいう学びとは、本人が興味があって知りたいから学ぶ、本来の意味での学びのこと。人は、他人に無理やり押し付けられたものには、なかなか興味を持てません。

自分が気になるから、自分が好きだから、自分が知りたいから、自分が選んだから、率先して「知りたい!」「考えたい!」「学びたい!」となります。そう、本来の学びには、自分で自由に選べることが、とても大事になるのです。

だとすれば、大人がすべきことは、子どもが「自分で自由に選んで、学べる環境」を整えること。そうした環境の中に、できるだけたくさん「学びの種」をちりばめることです。

ちなみに、「学びの種」とは、「ワクワク」のこと。子どもが「なんで?」「どうして?」「何それ!? 知りたい!」と思わず前のめりになるような、ワクワクする事実や謎を伝えることが、すごく重要になってきます。

そんな環境が整い、学びの種がちりばめられているのが、モンテッソーリ教育の小学校です。