2010年のサッカーW杯南アフリカ大会では4試合で主審を務め、2014年のブラジル大会では日本人として初めて開幕戦の主審を務めたJFAプロフェッショナルレフェリーの西村雄一氏は、他の競技と同様に導入が進む「ビデオ判定」について「審判ではなく選手を守るためにある」と断言する。西村氏に、スポーツを長年取材する鵜飼克郎氏が聞いた。(全7回の第7回。文中敬称略)

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 あらゆるスポーツで導入されつつあるのが映像だ。サッカーでも2018年W杯からVARと呼ばれるビデオ判定が導入された。ピッチとは別の場所で複数のアングルから試合映像を確認する、「主審をサポートする審判員」という位置づけだ。

 VARはあらゆるシーンに適用されるわけではない。介入する対象は「得点かどうか」「PKかどうか」「レッドカードかどうか」「(警告・退場の)選手間違い」の4項目と、主審が確認しきれなかった重大な事象のみで、主審の認識と映像に大きな違いがあった時にマイクを通じてVAR担当審判員から進言される。その進言がそのまま判定となるわけではなく、主審がピッチ脇のモニターで映像を確認するなどして最終決定とする。

 監督の異議申し立てを受けて検証される野球の「リクエスト」や、選手がアウト・イン判定の確認を求めるテニスの「チャレンジ」とは、その点が大きく異なる。

 FIFA W杯南アフリカ大会(2010年)やブラジル大会(2014年)など数々の国際試合で主審を務め、現在はJFA(日本サッカー協会)プロフェッショナルレフェリーとして活躍する西村雄一はこう言う。

「私たちが明らかな間違いをした場合には訂正できるほうがいい。本来、それが判定されるべき結果だからです。審判の判定は人間がその場面を見られる範囲に基づいていますが、別の角度やスローリプレイで見直すことができれば、より正しい判定に導けます。少しだけ時間を戻せるシステムなんです」

 2022年のW杯カタール大会での「三笘の1ミリ」(日本対スペイン)は、まさしくVARでなければ確認できなかったプレーだ。逆にいえば、サッカー史の“伝説”となっているアルゼンチンの英雄マラドーナの「神の手ゴール」(1986年W杯メキシコ大会。アルゼンチン対イングランド)は、VARがあれば「審判を欺こうとする反則(ハンド)」とされていただろう。

VARは「選手を守るため」にある

 VARは「審判のサポート」として導入されたとはいえ、結果的に審判の“誤審”を白日の下に晒すことにもなるツールといえる。それでも西村は、「VARによってレフェリーのミスが減るのであれば積極的に導入するべき」と語る。

「人間はどれほど努力をしても間違うことがある。しかしその判定による1つの得点や1つのファウルが、プレーに関わった選手やチームの将来を変えてしまうこともあります。そのような状況では、テクノロジーの助けを借りて正確な判定を導くべきでしょう。

 VARは審判のためにあるのではなく、正しいプレーをしている選手を守るためにあると私は受け止めています。おそらく選手たちにも“フェアプレーをしなければ”という気持ちが強まるでしょう。ビデオを確認することで、悪質なプレーやシミュレーションもすぐに判明してしまいます」

 一方で、マネジメントに関わる部分では「人間の判断」に委ねるべき部分もある。

「同じような接触でも“ファウルと判定されることもあれば、ファウルとならないこともある”ように、白黒はっきりさせられない事象が起こることもまたサッカーの性質です。そのあたりは、テクノロジーによる厳密かつ正確なジャッジとそぐわないこともあるでしょう。もし接触プレーのたびに試合を止めてビデオで検証していたら、サッカーの面白さは失われてしまいます。

 サッカーは感情のスポーツでもあります。試合中に熱くなりすぎてしまった選手を落ち着かせる、不満を露わにしている選手に納得してもらえるように導くといった部分は、人間対人間でないとうまくいかない。判定にテクノロジーを導入する流れは当然だと思いますが、少なくとも判定を“全面的に機械に任せる”ということは難しいでしょう」

 ややもすれば「人間がいいか、機械がいいか」という対立構造の文脈で語られがちなテクノロジー判定の導入論議だが、西村の答えは明確だ。

「選手が試合で全力を出せるようにするために──それだけです。実現すべきことが人間に委ねられるのであれば人間に、テクノロジーが適しているのであればテクノロジーに。審判の役割はあくまで選手たちを支えることなのです」

(了)

※『審判はつらいよ』(小学館新書)より一部抜粋・再構成

【プロフィール】
鵜飼克郎(うかい・よしろう)/1957年、兵庫県生まれ。『週刊ポスト』記者として、スポーツ、社会問題を中心に幅広く取材活動を重ね、特に野球界、角界の深奥に斬り込んだ数々のスクープで話題を集めた。主な著書に金田正一、長嶋茂雄、王貞治ら名選手 人のインタビュー集『巨人V9 50年目の真実』(小学館)、『貴の乱』、『貴乃花「角界追放劇」の全真相』(いずれも宝島社、共著)などがある。サッカーをはじめプロ野球、柔道、大相撲など8競技のベテラン審判員の証言を集めた新刊『審判はつらいよ』(小学館新書)が好評発売中。