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【連載 極地志願 第1回】人はなぜ自らの限界を試そうとするのか。1998年に日本人初のワールドカップ総合優勝を成し遂げたプロフリークライマーの平山ユージさんは、W杯優勝の1年前に「極限を超えた」という登攀を経験している。W杯より印象深いという登攀とは、一体どんなものだったのか――。(文・聞き手=ノンフィクション作家・稲泉連)(前編/全2回)

■「世界のヒラヤマ」と呼ばれる男

現在、55歳を迎えた平山ユージは、世界を代表するフリークライマーとして、多くの功績を残してきた人だ。15歳でクライミングに出会った彼は、10代のうちから国内で頭角を現し、フランスに渡った後はヨーロッパでトップクライマーとして活躍した。

1998年にはワールドカップで日本人初の総合優勝、ランキング1位となった翌々年にも二度目の総合優勝を飾る。その後もアメリカ・ヨセミテ渓谷の「エルニーニョ」、スペインの「ホワイトゾンビ」といった岩壁での登攀(とうはん)などを成功させ、そのクライミングの姿の美しさから、「世界のヒラヤマ」と呼ばれることでも知られる。

そんな平山には、「あの一瞬」が自らをすっかり変えてしまった、と確かに言える体験がある。それはワールドカップでの優勝や数々の「成功」ではなく、結果的に失敗に終わった壮大な挑戦でのことだった。

■ほぼ垂直の1000メートルの岩壁

1997年9月18日――。

その日、27歳の平山はヨセミテのエル・キャピタンにある、「サラテ・ウォール」というほぼ垂直の1000メートル近い岩壁の前に立っていた。

時間はまだ夜明け前で、周囲は暗闇に包まれていた。ただ、これから彼が取りつこうとする壁の全容は闇に溶けていても、その存在感は重々しく放たれているようだった。

「サラテ」はヨセミテ国立公園にある花崗岩の岩壁で、ヨセミテにおけるロッククライミングの先駆者ジョン・サラテの名にちなんでつけられたビッグ・ウォールである。平山はこの岩壁を「オンサイトトライ」、つまりは登攀を自らの肉体だけで、初めての挑戦によって完登することを目指していた。

朝、平山はトレーニングでも世話になってきた友人の自宅から、車でサラテへと向かった。サラテが近づいてくるにつれて、これまで感じたことのないような緊張感が、胸に染みつくように広がってきた。それは彼にとって、この登攀では何が起こるか分からない、という未知に対する緊張感であった。