【WEEKEND女子プロレス♯13】

 waveの4・3新宿大会で、衝撃のアナウンスがあった。2児の母、旧姓・広田さくらが離婚を公表したのである。

この日の旧姓は、黒潮TOKYOジャパンとのシングルマッチ。イケメンの長い入場を逆手に取り、リング上で洗濯物を取り込み時間を有効に使ってみせた。子どもの服をジャケット代わりにされる誤算こそあったものの、時間の節約には成功し、よき主婦ぶりを遺憾なく発揮…と思いきや、その後、10・11新宿での自主興行開催発表とともに明かされた衝撃の事実…。

実は昨年後半からシングルマザーになっており、「仕事の大変さ」「仲間の大切さ」を子どもたちに教えるため自主興行の開催に踏み切ったという。そこにはもちろん、「養育費を稼がないと」というリアルな理由も。

「子育てにはお金がかかります。大学に行きたいとなれば1人1千万、2人で2千万! これから稼ぐぞ! だから業界のみなさん、オファーをください! そして自主興行のチケット、グッズを買ってください!」

これからは女手一つで2人の子どもを育てていく。「公表は自分の判断。相手は一般の方。離婚はしましたけど、よき父親ですので!」と広田。旧姓はもう使えないため、リングネームはシン・広田さくらに変更された。もちろん、ディアナのエリザベス王座を獲得している間は、シン・広田“エリザベス”さくらを名乗るだろう。

今回に限らず、人生そのものをプロレスに利用してきたのが広田である。過去の自主興行では「披露宴」「いい夫婦の日」「出産」などをテーマに節目ごとに大会を開催してきた。「彼氏ができました」報告をした約1年後に結婚を発表、そのときの男性が1年前とは別人らしく、場内をざわつかせたこともあった。

そんな彼女がプロレスラーをめざしたのは、高校生のときにテレビで偶然見かけた女子プロレスだった。JWPのダイナマイト・関西がキューティー鈴木に見舞ったスプラッシュマウンテン。この大技を見てカッコいいと思うと同時に、「やられてみたい」とも感じたというのが、なんとも広田らしい。

 その日からどうしたらプロレスラーになれるのか、情報収集に奔走した。書店、コンビニ、図書館、さらに電話帳でもプロレス関連のものを探しまくった。そして、プロレス週刊誌でGAEA JAPANという団体を知る。GAEAはその年(1995年)の4月に旗揚げしたばかり。その上、同年代と思われる女子選手が多数おり、誌面で紹介されていた。他団体と比較しても、GAEAの若手に割かれているページが多く見えた。

「ここに入れば私も取り上げられるチャンスがいっぱいあるんじゃないかなと思って、GAEAに入門しました。それが長与千種の団体であるということはあとで知るんですけどね。なんならオーディションのときも知らなくて、大柄で金髪の人ってくらいにしか思わなかったです(苦笑)」