「魂のピアニスト」として世界中で親しまれ、戦時中は岡山に疎開していたこともあるフジコ・ヘミングさんが先月21日に亡くなっていたことが分かりました。92歳でした。

フジコ・ヘミング財団によりますと、フジコさんは今年3月にすい臓がんと診断され療養を続けていましたが、先月21日に容体が急変し亡くなったということです。

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ベルリン生まれのフジコ・ヘミングさんは、日本人ピアニストの母の影響でピアノを始めました。太平洋戦争末期には、親戚を頼って岡山県総社市に疎開。当時「敵国の音楽の演奏」は憚(はばか)られる時代でしたが、フジコさんは毎日ピアノに向かっていました。

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(フジコ・ヘミングさん)
「いろんな兵隊さんが私のピアノを聞いて感激して。ある方は教室に入ってきて黒板に『愛しのフジちゃん、ピアノが素晴らしい』と白墨で書いてくれたのを思い出します」

そして戦後…コンサート直前に風邪をこじらせ、両耳の聴力を失いましたが、その後、左耳の聴力が回復し演奏活動に復帰。その波乱の人生と情感あふれる演奏で「魂のピアニスト」とも呼ばれました。

昨年6月には岡山でコンサートを開催し、多くの人の心を揺さぶりました。また、いままさに戦火にさらされているウクライナでもたびたび演奏してきたフジコさん。

戦争がなくなるためにどのような心持ちでいるべきか語りました。

(フジコ・ヘミングさん)
「人を怒らせるようなことは絶対に言わないことですよね。私は最近人を傷つけることは絶対どんな嫌な奴でも黙って言わない。Schweigen ist Gold。同じなのよ。『沈黙は金なり』ってドイツ語でもあるんですよ。本当にそうだわ」

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世界中を魅了したフジコさんの音色は今も多くの人の心に響きます。