「男はつらいよ」シリーズ第50作『お帰り寅さん』で、「くるまや」は「くるまやカフェ」として新装開店した。 その店長は誰あろう三平ちゃんだ。 壮大な妄想で綴った三平ちゃんの半生記もいよいよ最終話。 この世のどこかに三平ちゃんが生き、「くるまやカフェ」が営業していると妄想するだけで、「男はつらいよ」は、寅さんは、永遠に生き続けるのだ。

《プロローグ》三平ちゃんの現在(いま)

第50作『お帰り寅さん』では、おいちゃんおばちゃんが遺影に収まるなか、「くるまやカフェ」店長として久しぶりに元気な姿を見せてくれた三平ちゃん。

ただ薄味キャラの悲哀か、同作でも出演シーンは限定的だ。わずかに判明したのは、まず家庭を持ったということ。

夕暮れ時、参道ですれ違ったさくらの声かけに、

「娘のご飯つくらなあきまへんねん。女房が旅行中で」

と答える三平ちゃん。妻子いるみたいだね〜。

そのほか関連するトピックとして、チー坊と呼ばれる若い娘の店員さんが登場する。残念ながら加代ちゃんではないが、やはりポッチャリ系だ(少なくとも筆者にはそう見えた)。三平ちゃんの趣味だな、こりゃ。このぶんだと、女房も娘もきっとポッチャリ系だね。

とまあ、最終作までしっかり顔を出す三平ちゃん。チョイ役ながらあらためてその存在感に心が和む。

そして、同時にふと思う。三平ちゃんとは何者だったのだろう。もし「男はつらいよ」シリーズに三平ちゃんがいなかったら、どうなっていただろう。

最後にそんなことを妄想してみた。

第50作『お帰り寅さん』でチラッと映る「くるまやカフェ」のレトロモダンな店内は、神田の老舗甘味処『竹むら』の内装を参考にしたのだとか。店内撮影NGなので外観から想像してね。
第50作『お帰り寅さん』でチラッと映る「くるまやカフェ」のレトロモダンな店内は、神田の老舗甘味処『竹むら』の内装を参考にしたのだとか。店内撮影NGなので外観から想像してね。

《本編》帰る場所

「マスター、開業15周年のチラシ、ここ貼っときましょうか?」
「ああ、そうして。チー坊、それ終わったら今日は上がっていいから」
「はーい」

チー坊と呼ばれたアルバイトの若い娘が、いそいそと帰り支度を始める。
三平の好みなのか、ふくよかな体型はどこか加代似だ。

「あ、そうだマスター、ちょっといいですか〜」
「ん?どうしたん?」
「白衣がきつくなったんですよぉ。ボタンなんかもうはち切れそう」

チー坊はボタンに引っ張られて波打つような袂(たもと)を突き出す。それを目の当たりにした三平はあわてて目をそらした。

「わわ、わかった、わかった。できるだけ早めに用意しとくから」
「あ、マスター、エッチ〜。何見てんですか〜」
チー坊はいたずらっぽく胸元を隠す。

「な、なんも見てへんよっ。変なコト言わんといてえなっ。それよりな、キミ、成長早いんやないか? 2〜3カ月前に変えたばかりやで」
「だぁってぇ〜」

40年ほど前だったら「ぶりっ子」とでも言われるのだろうか、チー坊は上目使いで拗(す)ねる素振りをした。

その時、突然店先に声が響いた。

「ご通行中の皆さぁん、セクハラですよぉ。この店の主人はかよわき女性従業員にセクハラしてますよぉ」

通行人の何人かがギョッとして店の中に顔を向ける。声の主は、かつての朝日印刷社長の長女・あけみだ。

「あ、あけみさんっ。な、何言うてますねん。人聞きの悪い。ボク、なんもしてませんよっ」
三平はばか正直に真に受けた。

「まーったく、何悪さしてんのよぉ、真っ昼間からぁ」

あけみ、この口は悪いが気さくで憎めない隣人は、今は裏の自宅兼印刷所を取り壊して賃貸マンションに建て替え、その一室に1人息子と住んでいる。そして、「くるまや」がカフェに業態を変えてからも、昔の通り毎日のように顔を出しては愛嬌を振りまいていくのだった。
「あけみさんっ。マスターったら、変な目でわたしの豊満なカラダをっ」
チー坊は芝居がかった口調で嘆きながら、あけみの懐に飛び込んだ。

「こ、こら、チー坊まで」
冗談と察してはいるだろうに、さらにあわてる三平に対し、

「よしよし。チー坊、何かされても泣き寝入りはダメよ。アタシと一緒にこのオンナの敵と戦おう!」
「おー!」
と、ますますチームワーク良く悪乗りする女性陣。

「もういい加減にしてくださいよっ。店の中でっ」

三平はたまらず精一杯の大声で制し、ふたりは肩を抱きながら大笑いして応えた。

「三平ちゃん、あんたも相変わらずシャレが通じないねえ。寅さんにさんざん鍛えられたクセにぃ」

露店商のサクラをさせられそうになった時のことだろうか。あけみは昔話を持ち出してからかった。

「へえ、そんなコトがあったんですか」
「そうよぉ、それでさぁ……」

談笑するふたりの傍らで、ひとり三平はハッとした表情で立ち尽くした。

(相変わらず?)

三平の心に、あけみの何気ないひと言が引っかかっていたのだった。

ほどなくしてチー坊は帰り、あけみは裏の自宅に引っ込んだ。残った三平は、まだ何か考えている。

(相変わらず、か……)

そんな時、三平のスマホが振動した。妻からのLINEだ。

ーー帰りにオリンピックで牛乳2本買って来てーー

相変わらずの日常が相も変わらず過ぎてゆく。そのことに三平は軽い懊悩と焦燥を覚えた。

その日の閉店間際、暖簾(のれん)を下げに店先に出た三平は、山門の先の空を仰ぎ、ため息をついた。

(思えば京都から柴又に出て来て30数年、いろんな季節が通り過ぎて行ったなあ)

声なき声でつぶやく。

(裏の印刷所はマンションになって、満男さんは小説家になりはった……。加代ちゃんはもう結婚したんかなあ……)

もう一度、深くため息をつき、軽く頭を振った。

(ボクはあの頃から何か成長したんやろか。結婚して娘ができた。それ以外、何か変わったんやろか……)

(寅さんだったら、どう答えてくれはるやろ。話、聞いてほしいな。帰ってこうへんかな……)

旅の空にいる、あの無法な家主の親類に無性に会いたくなる三平だった。

「三平ちゃん、ご苦労様」

聞き慣れた声に三平は顔を上げる。買い物帰りのさくらだった。

「ああ若奥さん、お帰りなさい」
「ボーッと何考えてたの?」

三平は、さっきの煩いをそのまま打ち明けた。

「ええ、なんか周りはどんどん変わっていって、ボクだけが取り残されちゃってるような気がして……」
「考え過ぎよ。この間だって『くるまや』は活気があっていいね、三平ちゃんはよくやってるねって、備後屋さんも越後屋さんも誉めてたわよ」
「そうですか……」
「そうよ。三平ちゃんが来る前の店なんて、いま思えば信じられない有り様だったわ」

「へえ、そうやったんですか」
「だって平成が始まろうかという時代に、この店だけ時間が止まったままだったんですもん」
「まあ、言われてみれば……」

「三平ちゃんや加代ちゃんみたいな若い子が入ってくれたから、古い店だけどちゃんと時間が流れてるんだって思えるようになったのよ。過去のものにならなかったっていうか、現在進行形になった……とでも言うのかしら。おかしいわね」
「そこまで言われるとなんか照れますね」
「だから、これからもお願いね、三平ちゃん」
「はい、若奥さん。店が現在(いま)を生きてないと、寅さんも帰ってきづらいでしょうから」
「そうね。やっぱりこの店がお兄ちゃんの帰る場所だもんね……」

さくらと三平は顔を見合わせ穏やかに微笑んだ。

さくらが奥の茶の間に入りかけ、三平が下げかけていた暖簾を手にした時だった。
「あ、あれ?」
何かに気づいた三平は山門の方角を凝視する。強い西陽のなか、見覚えのあるシルエットが徐々に像を結ぶ。間違いない! 三平は居間を振り返り、叫んだ。

「わ、若奥さんっ、寅さん帰って来はりましたよっ」

(完)

取材・文=瀬戸信保
※この物語は映画「男はつらいよ」シリーズおよび同作の登場人物、店舗名とは一切関係ありません。また、映像化の予定はありません。少なくとも今のところそんな話は聞いてません。

瀬戸信保
モノ書き
1968年東京生まれ。大衆文化、中国文化などをフィールドとする“よろずモノ書き”。中国茶のソムリエ、バイヤーとしても暗躍。著書に『真史鬼平外伝〜本所の銕』『鬼平を歩く』(共に下町タイムス社)など。