閉鎖中の2番ホームには大小約100体のたぬきの置物、駅前には5メートルを超える大たぬき。信楽高原鉄道(信楽〜貴生川間14・7キロ)の信楽駅(滋賀県甲賀市信楽町長野)は、日本六古窯のひとつ「信楽焼」を象徴するたぬきであふれている。陶器の町の玄関口としてこれ以上の演出はない。ただ、この演出は企画・計画されたものではなかった。鉄道の苦難と悲しい歴史があった。たぬきには、地元や鉄道員の思いが詰まっている。

コンクリート製

高さ5・3メートル、胴回り6・6メートルの「信楽駅前大たぬき」には兄弟が20体いた。

「みんな知らんけど実はコンクリート製。商売として並のたぬきではなく、大きな、看板にもなるたぬきを作ろうとなった。仲間と有限会社を作り、計21体の大たぬきを作ったが、その第1号が駅前の大たぬきなんや」

藤原陶芸用品店(同)社長の藤原鷲男さん(85)が証言をしてくれた。

大たぬきは、4トンの粘土で原型を作り、型を取り、コンクリートを流し込んで作ったという。1体の制作に1年以上かかり、駅前の大たぬきが完成したのは昭和62年。記念の除幕式は63年4月2日に開かれた。

国鉄信楽線(信楽〜貴生川間)は昭和8年5月に開業。しかし、乗客減で40年代に廃線問題が持ち上がる。以降、長年にわたり反対運動が展開されるが、62年7月に廃止、第3セクター信楽高原鉄道として開業したばかりだった。

「第1号を寄贈すると信楽町(当時)に申し出ると、玄関口の駅前設置が決まった。鉄道の再出発を祝うのにぴったりだった」(藤原さん)

今、大たぬきは駅のシンボルとなっている。

精一杯の思い

「(信楽高原鉄道)事故後、使わなくなった2番ホームに職員がにぎやかしにたぬきを置き出した。聞きつけた業者の方がさらに置いてくれた。徐々にたぬきは増えていったのです」。同鉄道総務係長の神山(こおやま)敬介さん(51)が説明する。

事故とは、平成3年5月14日に発生したわが国の鉄道史に残る大惨事。同鉄道の列車と、乗り入れていたJR西日本の臨時列車が単線上で正面衝突し、乗客乗員計42人が死亡、600人以上が負傷した。当時、滋賀県立陶芸の森(甲賀市信楽町勅旨(ちょくし))で世界陶芸祭が開催されていた。

同年12月8日の運行再開後、2番ホームは閉鎖され、信楽の町も沈んでいた。〝にぎやかし〟とは、「何とか町を元気づけたいという鉄道員の精いっぱいの思いだったのだろう」と神山さんは想像する。今、2番ホームのたぬきは、「映(ば)える」と観光客に人気のスポットとなっている。

ドロンと衣替え

忍者の町、甲賀にふさわしく、駅前大たぬきは、季節ごとにドロンと衣装を着替える。

「信楽の魅力を発信する事業として平成26年度に始めた。季節ごとのお出迎えをしています」と信楽町観光協会の松田晃余(てるよ)さん(43)は話す。

衣装のデザインは地元の滋賀県立信楽高校デザイン系列に依頼している。1月〜2月は「バレンタイン」、3月下旬〜4月中旬は「桜たぬ木」、10月上旬〜10月31日は「ハロウィン」など年に6回衣装替えをする。

大型連休(GW)は信楽が最もにぎわう季節。松田さんは、「インスタ映えするので、みなさんに楽しんでもらっています」とPRしていた。(野瀬吉信)