福岡県みやま市の山中にある「五百羅漢」。首を落とされた石仏や、急ごしらえで頭部を据え付けられた石仏が並ぶ不思議なスポットだ。人気が近年高まっている「九州オルレ みやま・清水山コース」の一部、清水寺に続く参道の脇にそれらはある。

「首なし地蔵」と呼ばれ

 五百羅漢とは、釈迦の教えを広めた500人の弟子たちで、修行を積んで悟りを得た高僧のことだという。石仏の多くは江戸時代に作られたが、首を切り落とされてからは「首なし地蔵」とも呼ばれるようになった。

 現地の案内板には「明治以降、誰人のいたずらか、全部首がおとされてしまった」とある。さらに「最近夢のお告げにより、誰人の行為か、知らぬ間に首がついた」とも。みやま市に聞くと、やはり同じような説明を受けた。一体どういうことなのか? 清水寺の住職・鍋島隆啓さん(72)に経緯を教えてもらった。

 明治時代に入って「神仏分離令」が布告されたのを機に、仏教を排斥する破壊活動が各地で繰り広げられた。「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の嵐はこの地でも吹き荒れ、ほぼすべての石仏の首が失われたという。今から150年ほど前のことだ。

 「首なし地蔵」と呼ばれて1世紀がすぎた昭和50年頃、「おそらくは信仰熱心な人によって、寺が気づかない短い時間で」、石仏に新しい首が据え付けられたという。

 新たに頭部を得た清水寺の五百羅漢。首の上下の大きさが不釣り合いだったり、コンクリートを使った粗い作業の痕跡があったり――。風雨に耐えられず、また首が取れてしまったものも多いそうだ。

気がつけば新しい首が

 副住職の鍋島隆清さん(33)は「素人によるものに違いない」と言う。「誰も見ていない夜遅く、暗い中で取り付けた」からだろうか、文字が刻まれた石碑や岩の上に接合された頭部もある。その多くは長い歳月を経て、コケやツタに覆われている。

 壊される前の五百羅漢は、喜びや怒り、哀れみといった心の機微が一つひとつに巧みに表現されていたという。案内板に「どれか必ず亡き人の面影を感じられるものもあり、亡き親に会いたければ、『羅漢さんに、めーんなはれ』と言われた」とある。

 隆啓さんの父にあたる先代の住職は、相談なく「誰人の行為」によって突然、同じような顔が付けられたことに、ショックを受け、立腹したそうだ。しかし、もはや受け入れるほかなく、石仏はそのままの状態で、緑深い森の中で静かに鎮座している。

 石仏は本堂に続く旧道にある。副住職が参拝者に五百羅漢の歩みを解説すると、廃仏毀釈の歴史を知らずに、興味深そうに耳を傾ける人もいるそうだ。

鳥居に「清水寺」の文字

 こうして、似たような顔の石仏が並ぶようになった五百羅漢だが、中には大きさや表情が異なるもの、不安定な場所に座しているものなど、それぞれに個性がある。

 歴史の証人として今に残る石仏。数々の苦難を乗り越えてきたからだろうか、顔をはうカタツムリさえも穏やかな表情で受け入れ、訪れた人たちを温かく迎えているようだった。

 五百羅漢の先へ進んでいくと、神社にあるはずの鳥居があり、そこに「清水寺」の文字が読めた。住職によると、この鳥居は昭和の時代に造られたものだという。

 「宗教の本質はエゴをなくし、心安らかにあること。キリスト教も仏教も本質は同じです」。住職の言葉を思い出す。

 「神仏習合」――。寺と神社が同じ敷地に共存した時代が確かにあった。神も仏も大切に敬う、おおらかな宗教風土。長い時間をかけ、この国で培われた信仰の形を、コケに覆われた鳥居が教えてくれているような気がした。