6月28日に予定されている初公判で判決を待つのは、昨年5月、知人男性を刃物で刺したとして、殺人未遂の容疑で現行犯逮捕された伊藤りの被告(28)。前編では集英社オンラインに届けられた封書15通、葉書6通の本人手記から、売春に傾倒していく被告の生い立ちに迫った。後編では高校卒業後の伊藤被告の転落人生と東京での苦難を見ていきたい。

発達障害と診断

勉強もできない、運動もできない、本人が言うところの顔は微妙で、趣味と言える程ハマっているものもない。》(手記より。固有名詞を除いて原文ママ。以下同)という中学時代に、売春を覚えた伊藤りの被告。

通信制の高校時代、同級生や自身を買った年上男性などと体を重ねることで、自尊心はある程度満たされた。それでも彼女の根本にある“生きづらさ”が解決することはなかったようだ。

高校卒業後、介護学部のある大学に進学したが、やはり授業についていけずあっさり中退。介護施設に就職しても半年ほどで退社するなど職を転々とし、気がつけば20歳となっていた。

《20歳の誕生日は、三重県にある温泉旅館で住み込みの仕事をしていた記憶があるし、そこの期間を終了すると実家に帰り、どういう訳かソープランドでの仕事をした記憶もある。いつの間にか運転免許も取得していたし、ソープランドの仕事で思いがけずニンシンしていて、スタッフに付きそわれて中絶手術をした覚えもある。(中略)いつの間にか精神科に連れていかれていて、発達障害ですね、とあっさりと診だんされていた。》

そう診断されて、伊藤被告はそれまで抱いていた“生きづらさ”の正体がわかったような気がし、納得もしたのだという。

勉強も運動もできない、高校の通学時にバスの乗り方がわからず学校にたどりつけなかったり、大学の敷地で迷子になって講義に遅れてしまったり、といったことの原因はすべてここにあったのだ、と。

《受診の時に、「子供の頃から落ち着かなくて、勉強ができなくて、変だと思っていた」と(母の)発言を聞いて、どうしてもっと早く病院に連れて行かなかったんだ、とキレた。(中略)そう怒る私に、母は「時代だから仕方なかったのよ!自分で言えばいいでしょう!」とヒステリックな声で言った。》

伊藤被告はただ自身の辛さをわかってほしかっただけと述懐する。そして、人生、何もかもうまくいかないことも、すべて自己責任なのか、との思いを募らせていくようになる。

そして、27歳のころ、彼女は突如、上京する。

生活保護から格安風俗嬢へ

《ある日ふいに上京し、私は何のアテもなくさまよった。母の彼氏の財布からお金を抜き、逃げるように東京へ出た》

学校も仕事も長続きしないなか、27歳で生活拠点を東京へと移した伊藤被告。

しかし、東京へ来たからといって、何かが変わるわけでもない。歌舞伎町をふらつき、ネットカフェに泊まり、ぼんやりと時間をつぶす日々。

盗んできた約10万円はみるみると減っていき、仕事もなかなか見つからない。そこで頼ったのは生活保護だった。

《なんとかしないと。今夜中に…。と夜中の間中調べていく中で、生活保護受給を支援する団体のサイトに行き着いた。LINEで相談に乗ってくれるという。(中略)あっさりと「大丈夫ですよ」と返信が来て、朝には千葉県内の不動産屋へ行くように指示があった。そこからは思っていた以上に早い展開が待っていた。不動産屋への相談の翌日には私は、千葉県柏市のアパートの一室にいた。(中略)ロフト・クローゼット付きで、風呂トイレ付き。充分な部屋だった。》

住む場所と食べ物が保障される生活のなかで、本格的に暇を持て余すようになった伊藤被告は、30分4000円以下の格安風俗で働くようになる。

《そんな生活の中で、ふいに知り合った3つ年上の女、Gが、私のアパートにころがり込んできた。出会ったのは風俗のバイトで同じ客についた事で、その日に「ホストに行かない?」と誘われたのがキッカケだった。(中略)1人上京し、家族から縁を切られ、友人という友人もいなかった私は、気軽に話をできる友人がほしかったため、Gからの誘いを何気なく了承した。》

しかし、ホス狂のGからその後、「3000円貸して」など事あるごとに金を無心されるようになり、あろうことか、Gがホストクラブで背負った売掛金の保証人となってしまった。そして、Gはほどなくして蒸発した。

 「事件の始まりはずいぶんと前だった」

売掛金の支払いを迫られた伊藤被告は闇金に手を出すなどしてさらなる経済的困窮に陥る。アパートは退出せざるを得なくなり、生活保護も打ち切られた。そしてたどり着いたのが、個人による違法な売春行為だった。

《私は、柏市に住民票だけを残し、ホームレスになった。風俗の出稼ぎに行ったりするも、上手く指名が取れず、地方をウロウロしつつ、結局は都内で違法なウリを始めていた。Twitterや出会い系アプリを利用し、個人で客を取るいわゆる売春だった。1日、1〜3人程集客ができて、店を通さない分、客から受け取ったお金がそのまま利益となった》

その活動の中で、淫らなパーティを主催する人物と知り合い、パーティ界隈の人々とつながりを持つようになった。被害者男性と出会ったのはちょうどその頃だった。伊藤被告は事件について、こう綴って手記を締めくくっている。

《その後のことは、裁判にかかわってくるため書けない。だが、こうして書いてみると、事件の始まりはずいぶんと前だったようにも思えて仕方がない。被害者の方について等についても書けないが、私は自分自身に散々な問題を抱えており、私がこのような情況にいるのは、事件自体が問題ではなくキッカケにすぎないのだと思う。》

伊藤被告は今回の事件について、面会でも手記でも一貫して以下のように反省の弁を繰り返していた。

「私が刺したことで警察の方に迷惑をかけたり、周りの友達に心配させたりしたことは申し訳ないと思っています」

別の手紙では、心の叫びのように以下の言葉が書き記されていた。

《もう誰も私を愛してくれない。誰からも必要とされていない。誰も私に興味がない。死ぬことさえできない。何もできない。全部、私が悪い。苦しい》

初公判は、6月28日に行われる予定だ。

取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班