かつて「一刀」のリングネームで某有名格闘団体のキックボクシング王者に輝いた中竹一刀さんは、ギャンブル依存症に苦しんだ経験を持つ。依存症からの回復をめざす中竹さんは、2023年からギャンブル依存症回復施設「一般社団法人グレイス・ロード」のスタッフとして働き始めた。そんな中竹さんはなぜキックボクシングをはじめ、王者にまでなれたのか。そして、王者にまで上りつめたにもかかわらず、ギャンブル依存症に陥ったのだろうか。(前後編の前編)

#2 なぜ元キックボクシング王者のトップアスリートはギャンブル依存症になり失踪したのか?


パチスロ通いに2度の鑑別所…素行の悪かった少年時代


中竹さんの格闘技経歴は、幼少期に父親の勧めで通い出した少林寺拳法でスタートした。その後、小学校高学年になる頃には空手道場へ通い出しているが、いずれも自らの希望ではなかったという。


現在の中竹さん


「正直、別に少林寺拳法をやりたいとは思っていませんでした。なんとなく嫌といえないまま、通い続けていたんです。小学校高学年になってから始めた空手はもっと嫌でした。少林寺拳法は型が中心で、組み手をする時は相手に当てずに寸止めするんです。
だけど、僕が通っていた空手道場はフルコンタクト(直接打撃制)で、練習では生徒同士で直接打撃を入れ合います。1年下の学年にものすごく強い男の子がいて、その子と組み手をさせられるのがすごく嫌で、少しずつ空手に行くフリをしてサボるようになっていきました」(中竹さん、以下同)

中学校への進学を機に、そんな空手道場から晴れて解放されることとなる。中学ではバスケットボール部に入部した。部活動に専念するため、空手道場に通わなくてもいいと両親が承諾したため、中学入学以降数年は格闘技から離れて過ごした。

中竹さん本人は高校への進学を希望していなかったが、「せめて高校は卒業しておくべき」という両親の勧めがあったため、進学を選択した。しかし、そんな両親の想いに反して高校を卒業することはできなかった。

「中学生の頃から周りに悪友が増えたこともあり、当時はグレていたんです。高校2年生の時に仲間とバイクを乗り回していて、共同危険行為で警察に逮捕されました。それで、鑑別所に入ることになったんです。そんなことになったので、鑑別所に入っている間に親が高校の退学手続きをしました。僕自身は出所した後になって、高校を退学したことを初めて知りました」

無職になった非行少年は、建設現場などで作業員のアルバイトをしながら日々を送っていた。その当時も素行の悪さにはなかなか改善が見られず、傷害事件を起こして2度目の鑑別所行きも経験している。



この頃の中竹さんにとって、ギャンブルは既に身近な存在であった。本格的なギャンブルの世界への入り口は、高校1年生の頃に始めたパチンコであったが、すぐにパチスロにのめり込んだ。当時は「4号機」と呼ばれるパチスロ機が人気で、どこのパチンコホールも大いに盛り上がっていた時代であった。愛好家の間ではいまだにパチスロ黄金期として語り草となっている。


空手道場に住み込み。厳しい内弟子時代


すっかりパチスロにハマった中竹さんは、次第にアルバイトを休みがちになり、自分が支払えない額の借金をつくって、家族に肩代わりしてもらうことが度々起きた。

中竹さんが19歳になった頃、自堕落な生活を続ける息子を見かねた両親が頼ったのは、小学校の時に通っていた空手道場の館長だった。道場で指導して、息子が真っ当な人間になれるように更生を依頼したのだ。

「館長はかつて喧嘩に明け暮れていた人で、地元のヤンキーの間では名の通った存在でした。めちゃくちゃ強くて恐いので、これは言うことを聞くしかないと思って。それで道場に通い出しました」



館長の内弟子という立場で、更生に向けた日々が始まった。当初は実家から道場に通っていたが、内弟子の決まりに反して道場が閉まった後に夜遊びを繰り返していたことが館長に知られると、道場への住み込みを言い渡された。

内弟子としての生活は厳しいものであったが、中竹さんは格闘技の世界はそういうものだと信じて、日々の生活に疑問を持つことはなかったという。

練習は厳しいが、実力は着実についていった。空手道場ではキックボクシングも教えており、中竹さんはこちらをメインの競技とした。やがて道場が主催する自主興行試合のリングに上がるようになる。これがキックボクサーとしてのキャリアのスタートであった。しかし、未来のチャンピオンはデビューの直後に挫折を経験している。

「初戦の試合は勝利を飾れたのですが、2戦目は負けました。それで、一気にやる気がなくなってしまって道場を飛び出したんです」

行き先は当時交際していた彼女の家であった。そこで9か月の間、匿ってもらいアルバイトをしながらパチスロをして過ごしていた。しかし、些細なことで喧嘩になり、彼女の家からも出て行ってしまう。


弟子入りから8年、某有名格闘団体のキックボクシング王者に…


「このままでは、どんどん悪い方向へ行ってしまうのでは…」と、中竹さんの行く末を案じた彼女は、道場の館長に相談した。彼女に呼び出された中竹さんが待ち合わせ場所に行くと、そこに館長が現れて道場に強制的に連れ戻された。

「9か月ぶりに戻った道場で、館長にたっぷりと叱られました。流石にもう真面目にやるしかないと思い知らされて、そこからは本気で格闘技と向き合い始めました」

最初の数年間は、道場が年に2回主催する自主興行の試合にしか出場していなかった。しかし、日々の厳しい鍛錬の成果でメキメキと頭角を現した中竹さんは、興行試合のメインイベントを張るようになっていく。東京から興行に招いた名の知れた選手から勝ち星を上げることもあった。

元々好きで始めたわけではなかったはずのキックボクシングに、中竹さんが真剣に打ち込む原動力は館長の存在が大きかったという。

「厳しい指導を受けることもありましたが、それで結果がでたので、館長の言うことは正しいという感覚がありました。道場で矯正してもらえていなかったら、自分だけでは強くなれなかったと思います。
試合では館長に喜んでもらいたいという気持ちがモチベーションになっていました。勝ったときも、勝って嬉しいという気持ち以上に、『館長に恥をかかせずに済んだ』という安堵の気持ちが大きかったです」


王者の時代の中竹さん


キックボクサー「一刀」の名が徐々に知れ渡っていったことで、新しくはじまったキックボクシングの興業への出場機会を得た。

8人が出場するトーナメントを勝ち上がった中竹さんは見事優勝して、フェザー級初代王者に輝いた。当時27歳。内弟子となって8年が経過していた。

#2へつづく


#2 なぜ元キックボクシング王者のトップアスリートはギャンブル依存症になり失踪したのか?


取材・文/内田陽