ソウルオリンピック金メダルへの秘策

1988年、ソウルオリンピック。競泳男子100メートル背泳ぎで決勝進出を決めた21歳の若者は、金メダルへの作戦を聞かれると不敵に笑いながらこう答えた。

「内緒」

かつて「水泳ニッポン」の名を欲しいままにしていた日本競泳陣は、1972年のミュンヘンオリンピックで男子100メートル平泳ぎの田口信教、女子100メートルバタフライの青木まゆみが優勝して以来、金メダリストが途絶えていた。

16年ぶりの快挙を期待されても物怖じするどころか、プレッシャーを楽しんでいるようにも見える受け答え。隣国から日本中を熱狂させた「内緒」は決勝の大舞台で明らかになる。

17歳で出場したロサンゼルスオリンピックが財産に

鈴木大地が初めてオリンピックに出場したのは1984年のロサンゼルス大会。市立船橋高に在学中の高校3年生だった。

100メートル背泳ぎで日本新記録を出しながらも11位、200メートル背泳ぎで16位、400メートルメドレーリレーは決勝進出したものの失格に終わった。まだまだ世界との差は埋め難かったが、メドレーリレーで決勝進出した経験がその後の水泳人生に大きな影響を及ぼしたと日本オリンピック委員会の公式サイトで振り返っている。

「日本は引継違反で失格し、8位内入賞も出来ませんでした。しかし私は、当時アジア人では初めての57秒台というベスト記録を出しました。17歳という若さで怖いもの知らずの性格もありましたが、スポーツ選手として本物の勝負を味わった経験は、大きな財産となりました」

多感な十代のうちに世界最高峰の舞台で味わった緊張と興奮が鈴木をさらに成長させた。

バーコフをゴール前で大逆転の金メダル

4年後。順天堂大学に進んだ鈴木は、優勝候補の一人として100メートル背泳ぎ決勝の舞台に立った。

ライバルは予選を1位通過した世界記録保持者デビッド・バーコフ(アメリカ)と、予選を2位通過した200mメートルの金メダリスト、イゴール・ポリャンスキー(ソ連)。名前を呼ばれると、スタンドの声援に対して堂々と手を挙げて応える鈴木に緊張の色は見られない。

スタートすると同時にドルフィンキックで潜水する「バサロ泳法」でぐんぐん突き進んだ。いつもなら浮かんでくるはずの25メートルを過ぎてもまだ潜っている。

波打つプールにようやく鈴木が姿を現したのは30メートル地点。不敵に語っていた「内緒」の作戦は、キックを21回から27回に増やす、バサロの距離延長だったのだ。

この時点でバーコフがリードしていたが、後半に強い鈴木は徐々に距離を詰める。ゴール前、怒涛の追い込みを見せると、テレビの解説者も「行った、行った、行った!」と声を張り上げた。

「鈴木大地、金メダル!」

バーコフを逆転し、0.13秒差をつけての優勝を実況アナウンサーが興奮気味に伝えた。視力の悪い鈴木は目を細めて電光掲示板に目を凝らし、ようやく勝ったことを確認すると両手を突き上げて喜びを表現した。

感想を聞かれ「嬉しいに決まってます」

レース後、金メダルの感想を聞かれると、つっけんどんな口調でこう答えた。

「嬉しいに決まってます」

21歳の若者はどこまでも尖っていた。人知れず努力を積み重ね、並々ならぬプレッシャーに打ち勝ったからこそ、腹の底から出た言葉だったのだろう。

1992年に現役を引退後は母校・順天堂大の監督や初代スポーツ庁長官、日本水泳連盟会長など要職を歴任。水泳界、スポーツ界の発展に尽力している。

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