阪神の島本浩也投手(31)がこどもの日の5日、自身の幼少期を振り返るとともに、スポニチを通じて子どもたちにメッセージを送った。身長1メートル76、体重71キロと球界でも決して大きな体ではない左腕は小学生時代から“背の順”も前方。少年野球を始めた頃から見上げるような打者たちと対戦してきた中でいかにプロへの道を切り開いてきたのか。そこには体のサイズに左右されることのない“武器”があった。(取材・構成=遠藤 礼)

 ランドセルを背負っていた時から島本は“大きな敵を倒す”という難しい宿題を課されていた。「小学生の時から体はめっちゃ小さかったですね。(背の順も)常に1番前から3番目ぐらいでした」。小学1年で地元・奈良の「高田ヤマトイーグルス」に入団しマウンドに上がると、小学生ながら厳しい現実を痛感させられる。

 「野球をやってる子はみんなデカくて。小学生の時って身長差とか、体重差がもろに出るので。パワーでやられるんですよね」。

 真っ向勝負を挑めば簡単にはね返されてしまう。島本少年はその時点で力勝負という選択肢をそっと足もとに置く。「体の大きさでは勝負できなかったので、スローボールを投げたり。コントロールは良かったんで。体で負けても抑えれば一緒なんで」。小学生時代に変化球は禁止されていたため遅球を織り交ぜながら打者のタイミングを外し、狙ったところに投げる力をひらすら磨いていった。

 そしてもう一つ。「デカいやつには絶対に負けないぞって。その気持ちはずっと持ってましたね。今もですけど」。投げる以前に忘れてはいけない「強い気持ち」を持ち続けて、大きな相手と戦ってきた。

 一方で、少しでも差を埋めるために体を大きくする努力も続けた。練習後に母が用意してくれたおにぎりや、ゼリー、プロテインを口にする毎日。「周りにも体をデカくしろ、デカくしろってずっと言われてきた(笑い)。プロに入ってからも一緒ですね。3食だけじゃ体重が減るので1日4食、5食とって大きくしようとやってました」と振り返る。

 10年の育成ドラフト2位で阪神に入団。念願のプロ入りを果たすも、再び体格差が立ちはだかった。「同期の体を見てヤバいなと。これはきついなと」。同じ高卒の同期入団には、すでに体格はプロ級だった一二三慎太や中谷将大がいた。

 そんな危機感を抱いて飛び込んだプロの世界。分岐点とも言える試合が1年目に訪れる。11年8月27日のウエスタン・リーグの中日戦(鳴尾浜)は公式戦初登板。4回に3番手で登板すると、2死走者なしで09年の本塁打王、トニ・ブランコを迎えた。「見たことないぐらいデカくて…。全盛期だったと思います。あかん、これはやばい」と体重100キロ超えの大砲に一瞬、たじろいたことを覚えておいる。「いかれる(打たれる)と思ったんですけど、高めのまっすぐで抑えたんですよ。それが自信になったというか。あ、無理ではないんやなと」。

 まだ名もなき背番号126が、内角高めの直球で本塁打王を封じたまさにジャイアントキリングだった。「小さい時はどうやって大きい選手に勝つかずっと考えてました。頭はすごく使いましたね。コントロールや駆け引き、そういう部分を磨いてきて、体が同じだったら誰にも負けないとも思ってきました」。今季プロ14年目を迎えた31歳は、その小さな体からはみ出るほどの闘争心と反骨心で虎のブルペンを支えている。

 ◆島本投手から子どもたちへ

 「体が小さくても活躍できる!小さくても、やり方次第でうまくなるし、強い体も作れます。僕は体が大きい選手にどうやったら勝てるかをずっと考えてきて、コントロールや守備を磨いてきました。それはプロに入った今も自分の武器になってるので、野球だけじゃなくて他のスポーツでも勝負に体の大きさは関係ないと思ってやって欲しいです」