日本サッカー協会(JFA)前会長
田嶋幸三インタビュー01

 波乱に満ちた8年だった。

 日本サッカー協会の田嶋幸三会長が、4期8年の任期を経て3月末で退任した。

 2016年の就任当初、男子のU−20ワールドカップ出場を4大会連続で逃していたことから、「育成日本復活」を掲げた。なでしこジャパンが同年のリオ五輪出場を逃したことを踏まえ、女子サッカーの普及と強化にも注力していった。

 ピッチの内外でさまざまな改革を推し進めた8年間から、3つのトピックスを取り上げる。第1回は2018年4月に下された、あの決断──ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任だ。

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ハリルホジッチ監督の電撃解任は衝撃的だった photo by AFLO

 ハリルホジッチ解任の火種は、2015年3月の就任直後からくすぶっていた。

 2014年のブラジルワールドカップでアルジェリアを率い、優勝したドイツとラウンド16で接戦を演じた成功体験に基づいて、旧ユーゴスラビア出身の指揮官は「デュエル」と「縦に速いサッカー」などを日本に必要なものとして残そうとした。それだけなら監督の色と理解されただろう。だが、アプローチがかなり強制的なのである。

 しかも、ワールドカップ予選で格下のシンガポールと引き分けたり、UAEに負けたりするのだから──そのいずれもがホームゲームだった──チーム作りへの不安や不満が噴出するのは避けられなかった。

 田嶋が回想する。

「代表監督の評価は、技術委員会によるものです。僕自身は勝った・負けたの結果ではなく、選手との信頼関係を何よりも重視しています。実は2017年6月のワールドカップ予選でイラクと引き分けた時点で、選手たちの表情に陰りを読み取りました。

 ただ、その次の活動は8月末のオーストラリア戦、9月上旬のサウジアラビア戦で、ワールドカップ最終予選突破がかかる大一番です。ほとんど準備期間がないまま新監督のもとで臨むのはあまりにリスクが大きいと、そのタイミングでは判断しました」

【直接会って説明するのが会長としての責任】

 ホームのオーストラリア戦に勝利した日本は、ロシアワールドカップ出場を決めた。しかし、10月・11月のテストマッチは物足りない結果に終わり、12月のE-1選手権で韓国に1-4で大敗する。

 試合後、ハリルホジッチは「韓国のほうが日本を大きく上回っていた。フルメンバーのチームでも、この韓国に勝てたかどうかはわからない」と、国内組で編成されたチームを酷評した。こうした発言も、選手との溝を広げる要因となっていった。


田嶋幸三JFA前会長が2018年の電撃解任劇を語る photo by Sano Miki

「E-1選手権の次の活動は2018月3月のマリ戦とウクライナ戦で、この2試合はベルギーで行なわれました。日本代表の試合は可能なかぎり現地で観てきましたが、この2試合は東アジア連盟の仕事と重なってしまった。テレビで試合を観ることになったのですが、画面越しでも選手たちの心が監督から離れている印象を受けました」

 ベテラン、中堅、若手を問わずに「このままではワールドカップで勝つのは難しい」といった趣旨の発言が並んだ。チーム作りへの批判と受け止められることを覚悟で、選手たちは声を挙げた。悲痛な叫びだったと言ってもいい。

 次の活動は5月末である。ロシアワールドカップの開幕直前だ。「もう監督は代えられない」との意見が大多数だった。「ハリルホジッチは直前にチームを仕上げるのがうまい」との分析もあった。

 ここで、田嶋は前代未聞の決断を下す。

「ハリルホジッチさんを選んだのはお前じゃない、日本代表が負けてもお前のせいじゃないと言う人もいましたが、会長にはすべての責任があります。ハリルホジッチさんは選手とのコミュニケーションが不足していて、信頼関係に明らかな問題が生じている。それに対して目をつぶることはできなかった。

 彼のことを好きとか嫌いとかではなく、自分の立場がどうなるとかでもなく、日本サッカー界の未来のことだけを考えて代えなきゃいけない、ワールドカップで勝つ確率を1パーセントでも上げなきゃいけない、という気持ちでした」

 4月上旬に渡仏した田嶋は、ハリルホジッチに更迭を告げる。「直接会って説明するのが会長としての責任」と考えたからだった。

 ハリルジッチは「なぜだ!」と問い詰め、その後、来日して記者会見を開いた。名誉毀損による慰謝料1円と謝罪広告を求め、日本サッカー協会を提訴した(のちに取り下げられるが)。

【ロシアW杯で結果が出なかったら責任を取る】

 田嶋には、裁判よりも優先すべきことがあった。

 後任人事である。

 実はこの段階で、森保一の代表監督就任が検討されている。彼は2017年10月からU-21日本代表監督に就いていたが、田嶋と技術委員長の西野朗は「ハリルホジッチさんの次は森保に日本代表も任せる」との青写真を描いていた。本人にも伝えてあった。

「ロシアワールドカップから森保監督で、という考えがなかったわけではない。でも、あのタイミングで猛烈なプレッシャーを受けながらチームを指揮して、結果の責任を負わせてはいけない、という判断でした」

 新監督のもとでの活動は5月末からだ。実質的に1カ月弱でチームを作り直さなければならない。それは、外国人監督の招聘を選択しなかった理由でもある。日本人か外国人かではなく、限られた時間のなかで勝つために最適な人材を探すと、西野に行き着くのだった。

「西野さんは私が解任の決断を下すまで、ハリルホジッチさんをサポートする姿勢を一切変えなかった。自分が代わりにやるといったような発言や態度は何ひとつなかった。監督就任を打診すると『自分はそういう立場ではない』と、最初は断られました。

 でも、西野さんはチームのことをわかっているし、選手とのつながりも大切にする人です。U-19日本代表でワールドユース出場にあと一歩まで迫って、アトランタ五輪出場を果たした。Jリーグでの実績は、言うまでもないですから」

 最終的に、西野はうなずいた。すなわちそれは、田嶋が新たな種類の責任を負う、ということでもあった。

「ロシアワールドカップで結果が出なかったら、自分が責任を取る。ハリルホジッチさんの解任を決めた時点でそう覚悟を固めて、西野さんにお願いしました」

 西野のもとで再生されたチームは、コロンビア、セネガル、ポーランドとのグループステージで1勝1分1敗の成績を残す。セネガルと勝ち点、得失点差、総得点、当該チーム同士の成績のすべてで並び、反則ポイントで上回って2位を確保した。そして、ベルギーとのラウンド16で壮絶な死闘を演じた。

【監督交代を決断してよかった】

 ロシアワールドカップ後、田嶋は西野に「続投しませんか?」と訊いている。3位で大会を終えたベルギーと、ギリギリの勝負を演じたのだ。就任時に交わした「ロシアワールドカップまで」という約束を書き換えてもいいと考えたのだが、西野は「次は予定どおり、森保で」と答えた。

「あの短期間であそこまでのチームを作ってくれたのは、間違いなく西野さんの功績です。監督交代を決断してよかった、と思っています」

 自らの立場を賭けた戦いを、田嶋は乗り越えた。ロシアワールドカップ後も日本サッカー界の先頭に立ち、東京五輪へ、カタールワールドカップへ向けて、代表チームをサポートしていくことになる。

(02につづく/文中敬称略)

◆田嶋幸三・02>>「なぜ森保監督を続投した?」JFA前会長の答えは...


【profile】
田嶋幸三(たじま・こうぞう)
1957年11月21日生まれ、熊本県天草郡出身。現役時代のポジションはFW。浦和南高3年時に高校選手権を制覇し、筑波大学4年時に日本代表に選出される。1980年から1982年まで古河電工でプレーしたのち、引退して指導者の道へ。西ドイツに留学してB級ライセンス、1996年にJFA公認S級ライセンスを取得し、1999年から2002年にかけてU-16、U-17、U-19代表監督を務める。2002年にJFA技術委員長となり、2016年3月に第14代JFA会長に就任。2024年3月、4期8年の任期を終えた。

著者:戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei