日本サッカー協会(JFA)前会長
田嶋幸三インタビュー02

◆田嶋幸三・01>>ハリルホジッチ解任の真実「目をつぶることはできなかった」

 日本サッカー界の、新たな扉を開いた──。

 2016年から2024年3月末まで日本サッカー協会会長を務めた田嶋幸三の8年間は、そんなふうに振り返ることができるはずだ。連続インタビューの第2回は、森保一の監督起用とカタールワールドカップ後の彼の続投などに触れる。

   ※   ※   ※   ※   ※


森保監督の続投について田嶋幸三JFA前会長の見解は? photo by Sano Miki

 2018年ロシアワールドカップ後に森保一を日本代表監督に指名したのは、田嶋の在任期間の大きなトピックである。

 ワールドカップを区切りとするタイミングで、日本人指導者を代表監督に初めて据えたのだった。さらには、フィリップ・トルシエ以来ふたり目で、日本人ではこれも初めてとなる日本代表と五輪代表の兼任監督に指名したのである。

「2017年秋にU-21日本代表の監督に就任してもらった段階で、森保監督にはロシアワールドカップ後に日本代表も指揮してもらうと話していました。

 日本サッカー協会のもとで、キッズインストラクターからトレセンコーチ、U-20日本代表コーチなどを経験して、Jリーグではサンフレッチェ広島の監督として3連覇を達成した。ロシアワールドカップでは、コーチとして日本代表に加わっていました。普及の現場から世界と戦うトップオブトップのカテゴリーまで、日本サッカー界全体を体験してその中身を理解している意味で、ふさわしい人材と言えるでしょう」

 国内での実績については、田嶋の言うとおりである。ただ、国際舞台での采配は、国内で開催された2012年と2015年のクラブワールドカップに限られる。国際舞台での経験や実績を重要視するなら、外国人監督の招聘が議論されるべきだったかもしれない。

 田嶋も「その選択肢もありました」と認め、「ただ」と続ける。

「外国人か日本人かではなく、日本代表が勝つ可能性が一番高い人に任せる、というのが基本的な考え方です。外国人監督について言えば、それまでの実績どおりに働いてくれるかどうかは未知数なところがある。もうひとつつけ加えると、ワールドカップの優勝国はすべて自国の監督に率いられています」

【東京五輪が有観客だったらメダルを獲っていた】

 ベスト16の壁を破って世界の頂点を狙うのなら、いつかは自国の監督に任せることになる。その「いつか」は、できるだけ早いほうがいい。

「あのタイミングでは『世代交代』がチーム作りのキーワードとなっていたので、兼任することで若い選手の吸い上げがスムーズになる。それはかつて、トルシエ監督が証明してくれました。

 1999年のワールドユースで準優勝を成し遂げた小野伸二らの黄金世代を、2000年のシドニー五輪代表へ吸い上げ、継続的に鍛えて2002年の日韓ワールドカップにもつなげていった。東京五輪でメダルを狙うためにも、何とかがんばって兼任してもらおう、と考えたのです」


田嶋幸三JFA前会長に森保監督を選んだ理由を聞いた photo by Sano Miki

 2020年から2021年に延期された東京五輪では、男子のU-24日本代表がベスト4に、女子のなでしこジャパンがベスト8に終わった。

「これはもう負け惜しみになるけれど、東京五輪が有観客だったら、メダルを獲っていたと思います。男子も女子も、結果は変わっていたと思う。それぐらい悔しかった」

 2021年9月にカタールワールドカップ・アジア最終予選が開幕すると、森保は猛烈な向かい風にさらされていく。オマーンとの初戦で苦杯をなめ、サウジアラビアとの第3戦でも0-1で敗れてしまうのだ。

 これについては、スケジュールに触れるべきだろう。東京五輪が当初の予定から1年延期されたため、五輪終了からおよそ2週間でワールドカップ・アジア最終予選に挑まなければならなかった。東京五輪にはオーバーエイジの3選手を含めて日本代表の主力が出場しており、心身ともにリフレッシュできていなかった、と言うことができる。

「森保監督にはいつも『あなたより確実に勝ってくれる監督がいたら、すぐにでも代える』と言っていました。代表監督の評価は技術委員会によるものですが、僕なりの判断基準のひとつは、選手との信頼関係が揺らいでいないかどうか。

 そこについては、まったく問題なかった。日本人監督のほうが扱いやすいから、などということは一切、考えていません。日本サッカーのための一番いい選択として、森保監督に続けてもらいました」

【W杯ベスト16の壁を越えるために必要なトライ】

 最終予選序盤の苦しみからチームを救ったのは、「1チーム2カテゴリー」で強化されてきた東京五輪世代だ。

 負けたら予選突破に赤信号がともる10月のオーストラリア戦で、カタールワールドカップ・アジア最終予選初先発の田中碧が先制点を挙げた。アウェーへ舞台を移した翌年3月のオーストラリア戦では、三笘薫の2ゴールが勝利を呼び込んだ。彼らふたりに、久保建英や板倉滉、堂安律や冨安健洋らの東京五輪世代がチームを底上げし、森保は就任当初のタスクだった世代交代を推し進めながら、カタールワールドカップ出場権を獲得したのだった。

 2022年12月開幕のカタールワールドカップでは、ドイツとスペインを撃破してラウンド16入りを果たした。グループ1位での16強入りは、2002年以来だった。

「PK負けだったラウンド16のクロアチア戦も含めて、2018年に匹敵する実績を残してくれました。続投については、技術委員会がどう考えるのかが大前提です。私自身は森保監督を代える理由が見つからなかったので、続投に疑問はありませんでした」

 ワールドカップで采配を振るった監督がワールドカップ後も引き続き采配を振るうのは、史上初めてのことだった。

 森保は自らへの支持を証明するかのように、2023年のテストマッチでドイツを再び撃破する。国際Aマッチ9連勝で2024年1月開幕のアジアカップに乗り込む。だが、待ち受けていたのはシビアな現実だった。グループステージから苦しい戦いが続き、準々決勝で大会から去ることとなった。

「アジアの国々は日本に対して死に物狂いでくる、ということをあらためて感じました。必死になってやってくる相手に勝つのは簡単じゃないという現実を突きつけられた。

 けれど、ワールドカップ予選へ向けては、必ずしも悪いことではなかったでしょう。最終ラインから組み立てて崩す、相手が引いて守っても崩すというトライは、ワールドカップベスト16の壁を越えるために必要なトライだったと思います」

【監督と選手の信頼関係が成立しているかどうか】

 アジアカップ後初めての活動となった北朝鮮戦については、相手が長期合宿を経て臨んでくるとの情報を掴んでいた。東京五輪直後のオマーン戦に似た状況である。

 さらには、冨安、中山雄太、三笘、旗手玲央らがケガで招集できなかった。北朝鮮のように十分な準備期間があったわけでなく、メンバー編成も難しいなかで、ホームでしぶとく勝ち点3を掴んだ。

「アジアカップでベスト8に終わっても、監督と選手の信頼関係は揺らいでいなかった。ここから必ずチームを立て直せる、と考えました」

 おそらくはこれからも、さまざまなタイミングで日本代表監督の去就が取り沙汰されるはずだ。そこで私たちは、どのような判断基準を持てばいいのか。田嶋が示した「監督と選手の信頼関係が成立しているかどうか」は、これからもひとつの指針になるものだ。

(03につづく/文中敬称略)

◆田嶋幸三・03>>100年に一度の危機「サッカーの火を消してはならない」


【profile】
田嶋幸三(たじま・こうぞう)
1957年11月21日生まれ、熊本県天草郡出身。現役時代のポジションはFW。浦和南高3年時に高校選手権を制覇し、筑波大学4年時に日本代表に選出される。1980年から1982年まで古河電工でプレーしたのち、引退して指導者の道へ。西ドイツに留学してB級ライセンス、1996年にJFA公認S級ライセンスを取得し、1999年から2002年にかけてU-16、U-17、U-19代表監督を務める。2002年にJFA技術委員長となり、2016年3月に第14代JFA会長に就任。2024年3月、4期8年の任期を終えた。

著者:戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei