連載『藤澤五月のスキップライフ』
13投目:初の世界選手権とソチ五輪への険しい道のり

ロコ・ソラーレ藤澤五月の半生、"思考"に迫る連載『スキップライフ』。今回は、初めて挑んだ世界選手権で痛感したこと、さらには最大目標のソチ五輪出場へ励んでいるなかでチーム内に漂っていた"違和感"について振り返る――。


2013年、ラトビア・リガで開催された世界選手権に挑んだ藤澤五月(右から2番目)。写真左から市川美余、松村千秋、一番右が清水絵美。photo by Enrico Calderoni/AFLO SPORT

【初めての"世界"で痛感したこと】

 2013年はいろいろなことがありました。"転機"というほどではありませんが、そこにつながる種がまかれた年だったかもしれません。

 2月に札幌で行なわれた日本選手権で3連覇を達成。日本代表としてラトビア・リガの世界選手権に出場しました。

 私にとって、初めての世界選手権の舞台となったリガはとても綺麗な街でした。すごく寒かったこと。(現地で)はと美さん(長岡コーチ)の誕生日のお祝いをしたこと。モスクワ経由の帰国便が、当時ロシアでプレーしていた本田圭佑選手の帰国便と同じだったこと......。

 さまざまな思い出がありますが、やはり強く記憶に残っているのは、氷上で「世界では、自分たちはまだ格下なんだな」と実感したことでした。

 特に今年の世界選手権でも優勝したカナダ代表のチーム・ホーマンや、スイス代表のチーム・トリンゾーニ、そしてスコットランド代表のチーム・ミュアヘッドといったチームとは、技術的にも、戦術的にも、その差は大きかったです。

 なかでも、アイスリーディングの部分で臆病になっていたことは、個人的な課題となりました。氷の状況やクセがわからない大会序盤は、どうしてもセーフティーなショットのチョイスが多くなり、どこで攻めのスイッチを入れるのか、自分でも曖昧なまま試合を消化してしまいました。

 その点、同じ条件でプレーでもカナダやスイスはしっかりと石をためて戦っていて、アイスの見極めと攻める勇気がまだ、私には足りなかった。それらを持っていないと「世界では勝てない」ということを、痛感した大会でもありました。

 5勝6敗で7位という成績は実力どおりで、優勝したスコットランド代表のミュアヘッド選手は、ジュニア時代から私の前にある大きな壁でした。

 世界選手権で自分たちの課題が浮き彫りになったことは、自らの成長、チームの今後のためにも悪いことではないのですが、その年に目標としていたソチ五輪出場をかけた国内トライアルや世界最終予選、さらには翌年の五輪本番も、すべて慣れないアイスで勝機を探らなければいけない戦いが続きます。そこまでに何ができるのか。課せられたものをしっかり見つめる必要がありました。

【違和感に蓋をしてしまった勝負のシーズン】

 2月に日本選手権、3月に世界選手権を戦って、束の間のオフを挟むと、勝負の2013−2014シーズンを迎えました。9月に予定されていたソチ五輪世界最終予選日本代表決定戦に向け、中部電力さんは春から練習時間を確保してくれたり、練習試合の相手として韓国のチームを呼んでくれたり、会社全体でバックアップしてくれました。

 その際、夏に軽井沢で行なった韓国のチームとの実戦形式での直前合宿で、私たちはほとんど勝てませんでした。正確には覚えていないのですが、3〜4試合をして1勝できたかどうか、と記憶しています。

 普通ならそこで、「あれ、何かおかしいぞ?」と疑問を感じて修正していくのですが、私たちはそうした考えに至りませんでした。今考えると、"そこまでの経緯"や"外からの見え方"に流されてしまっていたのかな、と思います。

 チームを結成して2シーズン目となる2011年に日本選手権で初優勝。その勢いのまま、私たちは日本選手権3連覇中でした。日本代表として、世界選手権にも出場させてもらいました。

 その経緯の途中にいると、世界選手権では実力不足で負け越して帰国したにもかかわらず、周囲からは「日本で勝って、世界の舞台も経験して、次はいよいよオリンピックだね」と声をかけられることが増え、「目標のオリンピックに向けて順調に進んでいる」――そんなふうに見えていたかもしれません。

 もちろん応援してくれる方々の声は、私たちにとても大きな力を与えてくれました。日本代表決定戦に向けて軽井沢で壮行会なども開いてくれて、「頑張ってね」と送り出してくれる人がたくさんいてくださって、「みんなで札幌へ応援に行くからね」と言ってくれる人も多かったです。みなさんの後押しは何よりの励みになりましたし、本当に感謝しています。

 反省すべきは、そうした周囲の反応に甘えてしまって、世界選手権や韓国チームとの直前合宿で出た課題や違和感、不安のようなものに蓋をしてしまった自分たち――今なら、そう結論を出すことができます。

 結局のところ、オリンピックという未知の大きなイベントに対しての免疫や経験のなさが、大事なことを見落とす原因だったのかもしれません。

 自分たちとしては「やることはやった。あとは勝つだけだ」と意気込んで、日本代表決定戦の会場である札幌に向かいました。しかし、結果的には「準備不足だったな」と後悔しています。

 迎えた日本代表決定戦。参加チームは、私たち中部電力と、小笠原歩さんやちな(吉田知那美)がいた北海道銀行フォルティウス、吉村紗也香選手が所属していた札幌国際大学、そして(本橋)麻里ちゃんや(鈴木)夕湖や(吉田)夕梨花がいたロコ・ソラーレ(当時の表記はLS北見)の4チームでした。

(つづく)


photo by Fujimaki Goh

藤澤五月(ふじさわ・さつき)
1991年5月24日生まれ。北海道北見市出身。高校卒業後、中部電力入り。日本選手権4連覇(2011年〜2014年)を果たすも、ソチ五輪出場は叶わなかった。2015年、ロコ・ソラーレに加入。2016年世界選手権で準優勝。2018年平昌五輪で銅メダル、2022年北京五輪で銀メダルを獲得した。趣味はゴルフ。

著者:竹田聡一郎●取材・構成 text by Takeda Soichiro