サッカー五輪代表「オーバーエイジ」を語る(1)
2008年・北京オリンピック〜反町康治の場合

 果たして、誰が選ばれるのだろうか。

 パリ五輪に出場するU-23日本代表メンバーのことである。

 とりわけ、戦力アップに直結するオーバーエイジを招集できるか否かは、チームの戦いぶりに大きく影響するポイントだ。

 ここまでのところ、招集は難航している。海外のクラブに所属する選手の場合は、さらにハードルが上がる。

 クラブが五輪出場を認めないのは、それぞれの選手が価値を高めているからであり、日本サッカーにとって悪いことではない。しかしながら、オーバーエイジ枠を活用する際には、大きな障壁となるのも事実だ。


2008年北京五輪は内田篤人や岡崎慎司など有望な選手たちで挑んだものの... photo by AFLO

 オーバーエイジの招集が困難なのは、実は今回が初めてではない。さまざまな理由で、招集できなかったケースもある。

 たとえば、2008年の北京大会である。

 チームを率いた反町康治監督(現・清水エスパルスGM兼サッカー事業本部長)は、当時から「オーバーエイジを入れることで、チームが大きく変わってしまうのはよくない。オーバーエイジをセンターラインに3人置いてチームの中心として戦う、というようなことは考えない。全体を見て必要なところがあれば加える」というスタンスを明言していた。

「五輪世代の選手たちは、本大会に出るために予選から犠牲心を持って、身を削ってがんばってきてくれた。そういう選手たちをできるだけ多く連れていきたいのは当然だけど、オリンピックでメダルを取るという目標から逆算して、対戦相手も頭に入れながら選考しなければならない。世界レベルで見た場合、U-23世代ではどうしても足りないところがあった」

 五輪の登録メンバーは18人。そのうちGKをふたり選ぶので、フィールドプレーヤーは16人になる。ひとつのポジションに、ふたりずつ選ぶことができない。

「複数ポジションに対応できる選手が必要で、それは、オーバーエイジにも求められる要素だった」

【遠藤保仁と大久保嘉人を呼びたかったが...】

 そうした条件を満たす選手として、遠藤保仁をリストアップした。

「ヤットはサイドのMF、ボランチ、トップ下もできる。ゲームの流れを大きく変えられる力があるし、リスタートのキッカーも任せられる。私自身は五輪世代の監督と同時に日本代表のコーチをやっていて、彼のキャラクターもわかっていた」

 北京五輪の初戦は8月で、チームは7月上旬の候補合宿から始動することになっていた。遠藤も候補合宿に招集されていたのだが、体調不良で不参加となってしまう。ウイルス性感染症を発症したのだった。この時点で、遠藤の招集は不可能となった。

 大久保嘉人の招集にも動いた。2004年のアテネ五輪に出場した彼も、攻撃の複数ポジションを任せられる。

 2007年のJリーグでは14ゴールを挙げており、2008年も5月までに5ゴールを記録していた。日本代表でも2月と6月のワールドカップ予選で得点を決めている。

 ところが、所属するヴィッセル神戸との調整がつかなかった。Jリーグが五輪期間中も行なわれため、クラブが「NO」と言えば、それが最終決定になる。断念せざるを得なかった。

「五輪は協会側に選手を拘束する権利がなく、ヨーロッパでは五輪世代でもリリースしないケースが多々ある。日本ではまだそういうことはないかなと思っていたけれど、それが出た。ある意味で日本サッカーが発展してきた、ということでもあったと思う」

 オーバーエイジ3人目は、五輪世代のコンディションとの兼ね合いだった。

 大分トリニータ所属のGK西川周作がケガの影響などもあって、2007年シーズンは出場試合数を伸ばせていなかった。第2GKの山本海人も、清水エスパルスで定位置を掴んでいない。

 2008年のJリーグで彼らが出場機会を得られない場合に備えて、反町監督はオーバーエイジ候補の選手側に打診をしていた。幸いにも西川が開幕からポジションを確保したことで、オーバーエイジのGK招集は、その必要がなくなった。

【五輪で勝つ戦いは、ひとつ下の世代から】

「最終的にオーバーエイジをひとりも招集しなかったことについて、『五輪世代の経験を積ませられるからいい』と言う人がいれば、『それでは勝ち抜けないのでは』と言う人もいた。

 オーバーエイジの選手がもたらしてくれる経験値は得られなかったけれど、2006年夏のチーム立ち上げから積み上げてきた蓄積値はある。五輪世代だけで戦うことを強みにして、まとまりのあるチームを作ろうとした」

 北京五輪の結果は、グループステージ敗退だった。

 グループステージで対戦したアメリカとオランダは3人、ナイジェリアはひとり、オーバーエイジを加えていた。0-1で敗れたオランダ戦では、オーバーエイジのヘラルト・シボンに決勝点を喫した。

 優勝したアルゼンチンは、DFニコラス・パレハ、MFハビエル・マスチェラーノ、MFファン・ロマン・リケルメがオーバーエイジに指名されていた。バイエルン所属のマルティン・デミチェリス、インテル所属のニコラス・ブルディッソはクラブ側に招集を拒否されたが、パレハをチームに加えた。リオネル・メッシ、アンヘル・ディ・マリア、セルヒオ・アグエロらの五輪世代にオーバーエイジを交えたチームは、2大会連続となる金メダルを獲得したのだった。

「オーバーエイジを招集するかどうかは、突き詰めるとその国の本気度と言える。アルゼンチンとかブラジルは本気でメダルを取りに行くから、必ずと言っていいぐらいにオーバーエイジで代表の主力クラスを呼んでいる。アフリカの国々もそれに近い」

 北京五輪の日本はグループステージで1勝もできなかったが、悔しさを噛み締めた選手たちは日本代表へステップアップしていった。登録メンバー18人のうち9人が、その後のワールドカップに出場している。

 北京五輪を価値ある通過点としたわけだが、反町はうなずくことをためらう。

「北京五輪優勝のアルゼンチンと準優勝のナイジェリアは、2005年のワールドユース(現在のU-20ワールドカップ)でも決勝戦で対戦していた。どちらのチームの選手たちも、北京五輪が初めての世界大会ではない。五輪で勝つための戦いは、ひとつ下の世代から始まっているとも言える」

【ひとつになりやすい選手を連れていく方法も】

 オーバーエイジはチームの強みを際立たせたり、弱みを補ってくれる。ただ、あくまでも「18分の3」である。15人の五輪世代のクオリティが、言うまでもなく重要なのだ。五輪でメダルを狙うのであれば、U-17やU-20のワールドカップから真剣に優勝を目指すべきである。そのための強化をするべきなのだ。

 パリ五輪に挑むU-23日本代表は、7月3日に発表される。チームは7月17日(日本時間18日4:05)にフランスとテストマッチを行ない、7月24日(同25日2:00)のパラグアイ戦に挑む。ここからは時間との戦いだ。オーバーエイジを加えたら、さらに急ピッチでチーム作りを進めなければならない。

「現場の立場で言えば、できる限り早い段階から一緒に活動できればいい。ただ、U-23でもフル代表でも、限られた時間でやらなければいけない。代表とはそういうもので、監督とかスタッフが相当に気を遣ってひとつのチームにまとめ上げる作業をしなければならない。

 オーバーエイジについても、ひとつになりやすい選手を連れていく、という方法もある。そこは、監督がどう考えるか」

 果たして、大岩監督の決断は──。

(「2016年・リオ五輪〜手倉森誠の場合」につづく)

◆手倉森誠〜2016年・リオ五輪「ハリル監督から『いいチョイス』と言われたが...」


【profile】
反町康治(そりまち・やすはる)
1964年3月8日生まれ、埼玉県さいたま市出身。清水東高→慶應大を経て全日空に入社。横浜フリューゲルス誕生後も社員選手として続けるも、1994年にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)へ移籍した際にプロ契約を結ぶ。1997年に現役引退。2001年〜2005年はアルビレックス新潟監督、2006年〜2008年は北京五輪世代のアンダー日本代表監督、2009年〜2011年は湘南ベルマーレ監督、2012年〜2019年は松本山雅FC監督。2020年3月、日本サッカー協会・技術委員長に就任。2024年4月より清水エスパルスのゼネラルマネージャー兼サッカー事業本部長を務めている。日本代表4試合0得点。ポジション=MF。身長173cm。

著者:戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei