卵や乳、小麦など特定の食品を食べると、かゆみや息苦しさといった症状が出る「食物アレルギー」。
食物アレルギーがある人は災害時に避難所で提供されるものを食べられないこともある。

災害から命を守る知恵を深掘りする企画『DIG防災』。今回は東日本大震災の教訓から、食物アレルギー対応に取り組む「ヘルシーハット」代表の三田久美さんに話を聞いた。

災害時に食べるものがないことの恐怖

TBC

宮城県仙台市でアレルギーに対応した食品の製造販売や、食事の提供をしている三田さんは、東日本大震災で改めて、アレルギーがある人が災害時に食べるものがないことの恐怖を思い知ったという。

TBC

三田さん
「あまりにも揺れが長くて、これはただごとではないなと、大変なことが起きてくるなというのは、思いました。ヘルシーハットの利用客が津波からうまく逃れたら、どこに避難するだろうかとか、これは大変なことになるぞ、食べるものがきっとないぞ、と思ったんですね。アレルギーの人たちが、食べるものがなかったらどうなるかっていうのが、親はものすごい恐怖というか、深刻な問題ですので、必死に食べ物を確保しにいらっしゃったと思いますね」

震災直後の店内(画像提供:ヘルシーハット)

ヘルシーハットは利用客からの問い合わせを受け、震災の翌日には、食物アレルギーのある人に販売を制限して店を再開した。南は宮城県の名取市から、北は岩手県大船渡市まで10か所以上の避難所をまわり、利用者や自治体へ、アレルギー対応の支援物資を届けた。

三田さん
「支援物資を届けたことに驚いて、『こんなすごいところまでによく来てくれた』と言ってくれて、『これで生き延びられる』とよく言われました。やっぱり深刻なんですよ、アレルギーって実は、ものすごく。アレルギー対応の仕組みが全くなかったっていうことに自分たちも反省したし、これは何とかしなくちゃと思いました」

TBC

宮城県石巻市に住む千田(ちだ)康司さん。当時小学生と中学生だった2人の子どもに卵、乳、小麦などの食物アレルギーがあった。

東日本大震災では自宅が浸水し、すぐに避難所へ。ところが、避難した小学校には備蓄がほとんどないうえ、集められた備蓄もクラッカーや乾パンなど、食物アレルギーのある子どもは食べられないものが大半だったという。

千田さん
「子どものいる小学校に行く際に、奥さんがうちによって、アレルギーでも食べられるせんべいをもって、次男のいる小学校に行った。それがなければ2日間くらい支援のものがなかったので、大変だったと思います。避難所は集団生活になるので、理解をしてもらわなければいけないというのが非常に大きい。突然そういう大災害が来た時に、しかも親と一緒になれなかったときのことを考えるとぞっとする」

自治体の備え 個人情報にも配慮を

災害時に避難者を受け入れる自治体側にも備蓄に関する課題が見えてくる。
東日本大震災では支援物資の分配を担当していた、仙台市危機管理局防災計画課の御供(みとも)真人係長によると、仙台市では当時、米を乾燥させた保存食=アルファ米の備蓄は整っていたものの、アレルギーのある乳幼児に配慮した備蓄は不十分だった。

御供さん
「当時の備蓄では、アレルギー対応用のミルクは備蓄しておりませんでした。物資を集めて送る際に、アレルギー対応用の粉ミルクを発注しましたけれども、そこで初めてアレルギー対応の備蓄の重要性に改めて気付いた」

このような現状について、公衆衛生学が専門の東北大学災害科学国際研究所の栗山進一所長は、自治体や町内会など、避難所運営側による備えの大切さを訴える。

日頃の備えとしてできることとしては
・その地域に住む人の食物アレルギーに関する情報を把握しておくこと
・備蓄計画にアレルギー対応の備蓄を最低限組み込むこと
・避難訓練などでこうした事実を確認しあうこと

などを挙げている。
ただ、食物アレルギーに関する情報は、個人情報でもあるため、取扱いに注意が必要だとも話している。

ヘルシーハットの三田さんは、東日本大震災で避難所をまわる中で、備蓄や全国からの支援物資があっても、アレルギーがあり食べることができない災害弱者がいたことを痛感したという。
その教訓から国の防災マニュアルにアレルギー対応食品の備蓄を盛り込むよう当時の防災大臣に要請するなど、自治体の備蓄の重要性を訴え続けた。

2012年 当時の防災大臣に要請(画像提供:ヘルシーハット)

三田さん
「どこでそういう災害が起きるかもわからない、その意味で、自治体の備蓄をアレルギーの人が食べられるものでというお願いをした。アレルギーの人が食べられるものはアレルギーがない普通の人もみんな食べられるんですから」

アレルギーがあってもなくても、おいしく食べられるものを

ひまわり650円、プレーン600円、チョコ690円(いずれも税別)

三田さん自身も、アレルギーに対応した備蓄の開発に取り組む。
震災から4年後に作ったアレルギー対応の備蓄用クッキー「まいこ」。米粉やさつまいもで作られている。

三田さん
「被災地をまわったときに、お菓子で食べられたものが何もなかったと言われて、せめて自分たちができることは、甘いお菓子を一つでも作りたいなと思いました。この缶詰づくりに取り組むようになりまして、とても難しいことだったんです。どこにもなかったのでね。アレルギーがある人が食べても、アレルギーがない人が食べても、喜んでもらえるように(作った)」

「まいこ」は、ひまわり・プレーン・チョコの3種類で、仙台の店舗と公式ホームページで販売している。

「避難所で命を落とすのは、起きてはならない」

また避難所をまわる中で、食物アレルギーがある人が、意思表示をすることが難しかったり、子どもがひとりで避難所にいたときに、アレルギーをうまく大人に伝えることができなかったりしたという。
こうした場面に対応するために、震災後三田さんが作ったのが「食物アレルギー防災カードセット」。

TBC

三田さん
「被災地で避難所にいるのに、そこで間違えて命を落とすというのは、本当に起きてはならないことだと思うんですよね。周りの人が理解していないといけないと思います。東日本大震災のときは自分がアレルギーだって言葉にすらできない人がいたんです。だからどんどん言葉にしましょうと話しまして、『アレルギーがあります』っていうカードを作った」

カードには食物アレルギーがあることや、具体的にどんなものが食べられないのかを記入することができる。普段から携帯できる小さなカードと、避難所で掲示できる大きなサイズのものを用意した。

掲示用の大きなサイズのもの

三田さんは、こうしたものをうまく活用し、食物アレルギーがある人には自らアレルギーであることを周囲に伝え、必要な支援をスピーディーに要望できるようになってほしいという。

そして、アレルギーがない人もこうした声をしっかりと受け止め、どんな場面であっても理解しあうことが大切だという。

三田さん
「小さい子どもは自分だけで自分の身を守ることはできない。ですから周りの人が、『食物アレルギーで大変な思いをする』というのを知ったうえで、みんなが助け合うような、理解してごく普通に対応してくれるような社会になればいいなと思います」