宮城県多賀城市で開かれている「悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展」で、奈良・西大寺の国宝で、叡尊の姿を細かく表現した「興正菩薩坐像」が展示されています。めったに西大寺から出ることがないというこの「興正菩薩坐像」が作られた背景について、特別展の企画を担当した東北大学の長岡龍作教授に聞きました。

国宝「興正菩薩坐像」は、叡尊が生きていた頃の像だった

東北大学 長岡龍作教授:
貧しい人や、病人などは、文殊菩薩の化身であるという考え方が、古くから日本の仏教の中では信じられていました。そのために、叡尊らはそうした人たちを文殊とみなして、積極的に救済するという活動に励んだのです。ここが仏教の非常に巧妙なところで、信仰を使いながら、いわゆる社会福祉事業を行う仕組みをきちんと用意できているというところが、ある意味素晴らしいと思います。

東北大学 長岡龍作教授

そのように叡尊は強い信仰心を持った宗教者ですので、多くの人たちに慕われました。そうした人たちが、叡尊のもとに集まって、西大寺流の律宗という教団が出来上がります。

その彼らが、叡尊が80歳になったときに、叡尊様のお姿をそのまま残したいという思いから作ったのが、この肖像彫刻である興正菩薩坐像です。

TBC

きっかけとしては鑑真和上坐像と同じですが、こちらは叡尊が生きていた頃の像なんです。鑑真は、まもなく亡くなるときに影を映し、その後にできたのが鑑真像であったので、亡くなった後に完成した可能性が非常に高いけれども、叡尊は80歳のときにこの像はできまして、また非常に長生きでその後も90過ぎまで存命でしたので、この像に対する意図の中には叡尊自身の考えを強く反映しているわけです。

例えば、この像の中には非常に多数の納入品が収められているのですが、そのうちの一つが、叡尊が自ら納めた「自誓受戒記」です。叡尊が体験した非常に神秘的な体験−修行の中で清涼寺釈迦如来像(生前の釈迦の姿を写したとされる像)の出現を体験するという非常に神秘的な出来事を記録したものです。その日付が8月27日でした。そしてこの像は、彼が経験した神秘体験と同じ日、叡尊にとって記念日とも言える日に完成したのです。

西大寺

仏教の考えに基づいて、社会福祉事業などを行ったその叡尊という人の魂が感じられるものが、「興正菩薩坐像」ということになります。

「悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展」は6月11日(日)まで、多賀城市の東北歴史博物館で開催されています。

「信仰を使いながら社会福祉事業の仕組みを用意した」国宝・興正菩薩坐像のモデル“叡尊”とはどんな人?東北大学・長岡龍作教授が解説「悠久の絆 奈良・東北のみほとけ展」前編はこちら