【だから競馬が好きなんです】

「また厩舎に戻ってくると思っていたから、アッサリ送り出しちゃって。ちゃんとありがとうって言いに行く」

〝ボンちゃん〟ことボンボヤージの引退は、彼女が栗東近郊の吉澤ステーブルへ放牧に出てから決まりました。

 7歳の牝馬――。年齢的に近々だと分かってはいたけれど、あと少しは現役で走るのではないかと思われていたため、寝耳に水と言っても過言ではなかった引退、繁殖入りの発表。

 ボンちゃんを担当する硎屋助手は、お別れを言いに吉澤ステーブルまで行くのだと教えてくださいました。その翌週、「ボンちゃんの様子はどうでしたか」と伺いました。

「なんか、別んちの子みたいやった…」

 硎屋助手はそうおっしゃいました。詳しくお聞きすると、トレセンにいるときとは別馬のように、穏やかな表情をしていたんだそうです。

 梅田厩舎でも屈指のツンデレキャラとして知られていたボンちゃん。おそらく人のことは嫌いじゃなくて、誰かが馬房の前に来ると、彼女の〝定位置〟だった馬房左奥からジワジワ出てきてお顔を出すんです。そしてお耳をピンと立て、構ってほしそうなかわいい表情をして、人をジーッと見つめてくる。キュンとするじゃないですか? でも、一定距離…おそらくボンちゃんのパーソナルスペース…を越えてしまうと、ギュンと耳を絞ってお目目を三角にし威嚇してくるんです。そして、〝ああごめん〟とばかりに離れると、またお耳をピンと立ててまんまるな瞳をキラキラさせ見つめてくる…。いや、構ってほしいのか、ほしくないのかどっちよ!と混乱してしまいますが、それが彼女の中での〝人間との距離感〟だったのだろうと思います。

ツンデレキャラだったボンボヤージ
ツンデレキャラだったボンボヤージ

「お母さんになるのが分かってる」?

「それでこそボンやん? でもな、吉澤ステーブルで会ったボンは今までに見たことがないくらい穏やかな表情をしててさ、競走馬じゃないみたいやった。どれだけ近づいても、なでても、全然耳も絞らへん。なんなんやろ。環境なんかな。それとも、やっぱりお母さんになること、もう必死で走ったりキツい調教しないでいいことが分かるんかな」

 5年もの月日をボンちゃんと共にし、彼女を知り尽くしていた硎屋助手ですら不思議そうだった変化。でも、同じ厩舎のレッツゴードンキだって引退が決まり、厩舎から出発するその日は、表情が一変したのを覚えています。

 彼女はもともと人懐こくて、特に女性と子供に優しかった馬(担当の寺田助手は男性でも当然例外で、一番心を許していました)ですが、やはりレース前はすごくピリピリしていたし、いつもどこかに〝現役アスリートらしい迫力〟があった。でも馬運車に乗り込む当日は角という角が全て取れ、悟りを開いたような…言葉では表現しづらい、ふわふわした空気をまとっていたんです。

 ドンキは構ってほしいとき目を合わせてきてくれる馬だったのに、こちらを見ているようで目が合わないような、包み込んでくれるようなまなざしで…。「ドンちゃん…? どうしたの?」って何回も聞いてしまいました。もちろん答えはなかったけれど、そういう体験もあって、私は〝母になる競走馬はそれが分かる〟と信じています。厩舎の方も、「もうそろそろお母さんになるのが分かってる」っていう表現をよくされますもんね。

「ボンもそうなのかな。最後の方はレースに向かうまで毎日が闘いだったけど、なんか今思うと笑えてくる。まじで、今思うと、やで?」と笑う硎屋助手。

ボンボヤージとの〝闘いの日々〟も振り返ればいい思い出に
ボンボヤージとの〝闘いの日々〟も振り返ればいい思い出に

 ここ一年、〝追い切りの日〟が正確に分かるようになり、馬場へ向かうのをゴネるようになっていたボンちゃん。追い切り前に角馬場を軽く何周かして気持ちをほぐしたり、直前まで硎屋助手が引っ張っていったりしても、地下馬道で何度も立ち止まり、コースが見えるや否や地面に根が生えたように動かなくなるボンちゃん。彼女の背にはいつも川須騎手がいて、あやしたり促したり気合を入れたり。硎屋助手は手綱を引っ張ったり緩めたり、ボンちゃんの首筋をポンポン優しく叩いたり、鼻先をなでたり、最終的には途方に暮れた表情でお顔を見つめたり。まさに2人と1頭の闘い。何度も何度もその様子を見てきましたが、硎屋助手は毎回、汗びっしょりになり、追い切りが無事に終わって彼女を迎えに行った後は、川須騎手とともに魂が抜けたような表情になっていたなぁと思い出します。

 2023年のセントウルSの前が一番ひどくて、調教スタンド前のコース向正面入り口で50分間ゴネ続け、諦めて坂路へ行ったのですが、普段の調教ではスンナリ行くはずの坂路でもまさかのビタ止まり。最終的に馬上から川須騎手が下り、硎屋助手に乗り替わって、川須騎手がボンちゃんを引っ張っていくという〝あべこべ現象〟まで起きたのです。終わった後の硎屋助手は「ジョッキーに引っ張らせてしまった。俺は助手失格や」とまでおっしゃっていたくらいの落ち込みぶり。

「乗るつもりじゃなかったからグローブもしてへんし、手綱がすべるすべる。しかも安全靴のまま乗ったやろ? 鎧がキツキツでさ、マジでただつかまってるだけやった」(同助手)

 そんな過程だったにもかかわらず、レースでは苦手とされていた坂をもクリアし、ゴール前で猛然と伸びて4着に食い込みました。

「競馬に絶対なんかない。何年この世界にいたって、馬を分かったような気になるなってボンには何回も教えられた」

トレセンの日常は続いていく

ボンボヤージが北九州記念を優勝し、手綱を引きながら涙を拭う硎屋助手
ボンボヤージが北九州記念を優勝し、手綱を引きながら涙を拭う硎屋助手

 自分が騎乗できなかった間も、「調教は僕にやらせてください」と乗り続けていた川須騎手に手が戻ったとき、単勝164・3倍で優勝した北九州記念。それから1年後、前述のセントウルS。強烈なインパクトとともに硎屋助手へ学びもくれたボンちゃんに、硎屋助手は〝折れそうな心を支えられた〟経験もありました。

 兄・ファンタジストがレース中に命を落とした19年京阪杯。心がズタズタになりながらも、その翌週から阪神JFへの調整に入っていたボンボヤージの背にまたがった硎屋助手は、普段着けないゴーグルを着け、泣きはらした目を隠していました。

「いつも調教に行く時は隊列で厩舎から出発するのに、厩舎のみんなが気使って、サーッて先に行っちゃって。その日は俺とボンのふたりだけ。背中でメソメソ泣いてる俺に構わず、ボンはただ一緒に歩いてくれた」

 ファンタジストと歩いた痕跡を探しながら、妹と一緒に歩いた道はいつもと違っていたと思います。傷つきながらも、救われた道だったのではないかと、今になれば、思える気がします。

「思い出ばっかり浮かんでくる。娘が嫁に行っちゃう気持ちってこんなのかなって思ったよ。うれしいはずやのに、心にデカい穴が開いたみたい。でも、ボンのことは、無事に生まれ故郷に帰せた。よかった、本当によかった」

 そう言いながら、彼女がいた馬房に入ってきた弟・アスクワンタイムのお世話を始めた硎屋助手。お姉ちゃんと同じようにお水を跳ね飛ばしながら飲むワンタイムに、「姉ちゃんはもうちょい控えめに飛ばしてたぞ!」と笑います。そこにはトレセンの日常が続いていました。

 ボンちゃん、硎屋助手がこれだけ思ってくれていること、お別れの時に伝わったかな。

 私はただの一記者だからお見送りにこそ行けなかったけれど、大勢いるファンの方々と同じように、ボンちゃんがくれたたくさんの思い出をずっと忘れずにいるよ。

 ありがとう、ボンちゃん。北海道でも愛にあふれた毎日を過ごせますように。

著者:赤城 真理子