座間市教育委員会が調査を進める「加藤家文書」の一部が、7月12日からハーモニーホール座間で公開される。大正末期から昭和初期にかけて行われた砂利採取事業のなか、新田宿地域の道を拡げた記録で、現在の道路の形になった背景が浮き彫りになる。

展示の目玉は白い線や文字で印刷された「青焼き」の図面。整備計画は赤い線で描かれ、諏訪明神のあたりから現在の特養老人ホーム第二座間苑前を通り、相模川にのびる。「相模川行キ通り」と呼ばれ、現在の道路の形にも重なる。元々は幅2・7mと細かったが、相模川で掘った砂利を新座間駅(当時)に運び、さらに東京へと輸送するため、トラックがすれ違える5m以上に拡げた。

座間村での砂利採取は大正末期から行われ、当時は関東大震災の復興で砂利需要が高まっていた。同文書によると村長や地域の有力者たちが、採取権を持っていた実業家・石川滝雄や小田原急行鉄道に対し、道路拡幅に向けた土地買収費や工事費の寄附の要望を出していたことも分かる。

工事は昭和9年の夏に行われ地域に「公衆の便益少なからず」という碑文も残る。砂利採取は相模川の川底が深くなって危険という理由で終戦の頃に終わったとされる。

計画図は地域の有力者だった加藤家などが持ち回りで保管していたと思われ、現在は市に寄贈されている。

展示は日曜と祝日以外の午前9時30分から午後5時、会期は7月12日から29日。問い合わせは市文化財担当【電話】046・252・8431へ。