ですが、母子家庭や貧しい家庭に生まれた子どもたちは、その多くが勉強や進学の機会を与えられず、未来をあきらめねばなりませんでした。そんな子どもたちを僕はたくさん見てきました。

この途方もなく大きな差は、いったいだれの責任なのでしょう。この途方もなく大きな差を、学者である僕はいったいどうやって説明すればいいのでしょう。

ここに僕の怒りの根源があります。

子どもは親を選べません。なのに、貧しい家に生まれたというだけで大学や病院に行けない子どもがいます。そんな社会は「公正」な社会でしょうか?

生まれたときに障がいがある子がいます。それだけの理由で、不当な扱いを受け、色んなことをあきらめなければいけない社会が「公正」な社会でしょうか?

うちには3人の娘がいます。女の子として生まれたというだけで、性別や出産を理由に大好きな仕事をあきらめなければいけない社会は「公正」な社会でしょうか?

教えてください。自分が当事者だったら、子どもたちが不運な側に置かれたら、その理不尽な現実を「しかたない」の一言ですませられるのでしょうか?

「だってしょうがなくね?」でいいのか

日本は現役世代の暮らしを支える力が弱い国です。失業手当をもらえる人の割合は少なく、他の先進国では当たり前の住宅手当(家賃の補助)すら整っていません。

これに大学を中心とした教育、医療や介護の自費負担が加わります。いまの暮らしも、老後の暮らしも安心できないことにみんな気づいています。

生活が保障されない国である以上、子どもたちを受験戦争に巻きこみ、競争を強いるしかありません。

私たちはいつまでも子どもの面倒を見られません。自己責任で生きていける大人になってもらうしか、子どもたちが生きのびる道はないのです。