所属する静岡3区支部での役員会では、「人格を疑う」「謝罪だけでは済まない」など厳しい批判を浴びたということでした。見ているこちらがいたたまれない気持ちになってしまったのは私だけでしょうか。

「真実」を話せばいいというわけではない

政治家はじめ、有名人がスキャンダルや炎上を起こした際、「真実を伝えたい」と発言するのをよく見ます。しかし、真実を話したからといって炎上が収まることはまずありません。

私はこれまで、さまざまな企業や著名人の方に危機対応コミュニケーションのアドバイスをしてきました。共通して言えるのは、彼らの「真実を伝えたい」という気持ちは本心であることが多いということ。とはいえ、炎上はその「真実」とは関係なく、誤解や思い込みから延焼する場合もあります。真実を裁くために起こるものばかりではないのです。

カエサルは「人は見たいものしか見ない」と言いました。自分の信じたいものが真実であってほしいと思うのは、古代から人間の行動原理なのでしょう。

つまり、ボンボンと炎上しているときに、見ている人びとが「信じたいもの」は、その行為を批判する材料であって、当事者の反論ではないのです。炎上という一種の興奮状態にある人びとは、冷静な理解や客観的情報把握より、感情に突き動かされます。「真実を訴えたい」という当事者の声は、それが真実だとしても、多くの場合、聞き入れられることはないでしょう。

では、ただ泣き寝入りするしかないのかといえば、そうではありません。炎上は永遠に燃えさかることはありません。必ず火の勢いが止まるときが来ます。燃えさかる爆弾に反撃、反論するのは限りなく不可能に近いことですが、時を待つことができればチャンスはゼロではありません。

火あぶりにされ、ボロボロになった当事者の姿を見て、批判する人たちにいたたまれない気持ちが芽生え、批判者自身が少し冷静さを取り戻して状況把握ができはじめるところまで待てば、チャンスはあります。