『光る君へ』は創作するまでもなく、もともと死が穢れとされ、貴族は自分の手を血で汚すことをしなかった時代の物語のため、刀を交えることがいっさいない。貴族たちは弓の練習をしているがあくまで武道であり、人を殺すことには使用しない。権力闘争には頭脳戦が用いられ、普段の貴族たちは平和に歌舞音曲や和歌を楽しんでいる。

脚本の大石静は、「本能寺の変」「関ヶ原」「大坂の陣」というようなわかりやすい山場が今回はないことに対して、

「例えば、戦国時代だと、長篠の戦いだったら馬防柵、関ヶ原だったら家康は桃配山に陣を敷き、石田三成は伊吹山に逃げたとか、そういうビジュアル的に有名なものがありますが、今回はありません。でも、人間の足の引っ張り合いは、戦と同じくらいスリリングだと思います。本能寺の変で信長が死ぬってわかっている物語より面白いかもしれませんよ。

山場がなくて大変ですね、と言われたって、そこを私達は逆手にとって勝負を賭けるしかない。やってみなくちゃわからないけれど、きっとおもしろい。平安オタクしかわからない、先の見えないおもしろさですが、毎週見たくなっちゃうようにがんばっています」

と答えていた(Yahoo!ニュースエキスパート「紫式部と藤原道長はどんな人? 大河ドラマ『光る君へ』脚本家・大石静はこう見る」より)。

家柄の良さが大前提で、さらに頭の良さと芸術の素養にプライオリティが置かれていた時代の物語。『枕草子』に書かれた「香炉峰の雪」のエピソードが描かれると予告されるやいなや、高校の教科書に載っていた、なじみのエピソードということでSNSでの反響は大きかった。

山場はないと言われていても、「大坂の陣」や「保元の乱」のような、なじみあるエピソードがあったのである。

「知性ある主人公」が目指すもの

「香炉峰の雪」とは、ある雪の日、定子(高畑充希)が「香炉峰の雪はいかがであろうか」と清少納言(ファーストサマーウイカ)に問いかけたところ、清少納言が中国の詩人・白居易の詩になぞらえ御簾をあげて雪を見せたという、機転を利かせた逸話だ。

殺し合う腕力よりも、教養の高さや機知が宮中で生きるうえでは重要であることを感じさせるものだ。

香炉峰の雪 SNS上を沸かせた「香炉峰の雪」を再現した第16回。ファーストサマーウイカが清少納言を見事に演じる(画像:NHK『光る君へ』公式サイトより)

『光る君へ』では劇中で使用される和歌や漢詩の話題が毎回、SNSで俎上にのる。劇中でも登場人物が和歌の解釈を話し合っていて、互いに送り合う文の内容も、現在のLINEの素っ気なさとは雲泥の差の深い意味が込められたもので、日常から考察合戦が行われていたかのようである。