第二次大戦中、ソ連はドイツ軍から鹵獲した「ティーガーI」戦車を見て、保有する戦車では全く相手にならないことを悟ります。そこで、要塞破壊用に考えられていた自走砲が脚光を浴びることとなります。

驚異的な早さで車両が開発される!

 1943年1月、第二次大戦中の独ソ戦においてソビエト連邦軍は、前年12月からドイツ軍が投入してきた新型重戦車の鹵獲に成功し、それをテストしました。鹵獲された戦車「ティーガーI」は、当時ソ連陸軍で使用されていた76.2mm砲搭載型の中戦車であるT-34/76の主砲で撃ってみたところ、ゼロ距離でも正面装甲を貫けず“全く歯が立たない”ことが明らかとなりました。

 この重戦車に対抗するため、ソ連は緊急策として152mm砲を装備した「自走砲」の投入を急ぎます。それがSU-152です。

 2024年現在における「自走砲」とは、目標を捉えて砲撃する「直接射撃」ではなく、陣地などの目標に観測員や航空機から指示を受けて砲撃する「間接射撃」を主に行う自走榴弾砲を指します。これに対しSU-152は当初、強固に構築された要塞やトーチカを直接射撃により破壊するために開発されました。

 しかし、「ティーガーI」を目の当たりにしたことで、152mm砲を対戦車戦用にも使うことを考えた結果、SU-152はほぼ戦車のような扱いを受けることになります。ちなみにこの部分は、開戦後に対戦車戦闘も兼任させられたドイツのIII号突撃砲と似ています。
 
 自走砲の利点として構造が複雑な砲塔を持たないため、短期間で設計でき、量産体制も整え易いということがありますが、SU-152はその中でも極めて短期間で完成に至った車両として知られています。

 開発プロジェクトは1942年12月31日に始まり、1943年1月25日には、最初のプロトタイプの組み立てが終わっていたといわれています。つまり基本的な設計にたった25日しか要しておらず、その間に対戦車戦用を兼任する計画までなされたのです。

「ティーガーI」への効果は?

 SU-152が異例の短期間で完成したのは、既存のKV-1S重戦車のシャーシの基本設計をほぼ変えずに、装甲を施したML-20 152mm榴弾砲をそのままつけるという方式を採用したためです。実はそれ以前にも何度か似たようなコンセプトでの開発計画があり、その蓄積があったからこそ実現した短期間での設計でした。

 当初は全く対戦車戦を想定せず開発されたSU-152でしたが、鹵獲した「ティーガーI」を使って、砲の威力を試したところ、2000mの距離から装甲の貫通こそできないものの、砲弾の火薬量によって「ティーガーI」の装甲を粉砕することもでき、砲塔に当たれば、砲塔を根本かから吹き飛ばすことも可能だったようです。

 そのため1943年時点で唯一「ティーガーI」の撃破が可能だったSU-152は、早くも2月14日に正式採用され、3月から量産を開始。5月には最初の部隊編成が行われました。

 同年7月に行われたクルスクの戦いでは、独立重自走砲連隊に集中配備され、待ち伏せ戦法により、「ティーガーI」やポルシェ製の「ティーガー」をベースとしたフェルディナント重駆逐戦車を多数撃破したといわれています。同戦闘での対戦車戦への貢献によりSU-152は「野獣ハンター」を意味する「ズヴェロボーイ」と呼ばれるようになりました。

 生産こそ1943年12月に終了し、その後は順次IS-1重戦車の車体をベースとしたISU-152に置き換わることになりますが、一線級の実力は戦勝終結まで持ち続け、1944年6月22日から開始されたバグラチオン作戦では、本来のトーチカなどで構築された要塞破壊任務に従事。「ティーガーI」の後継車両として投入された「ティーガーII」相手でも、装甲は貫通できないものの、損傷を与えることはできたといわれています。なお、戦後も1960年代近くまで使われました。