本州における「四国への玄関口」であり、「造船」で栄え全国でも重要な都市だった岡山県玉野市。100往復あったフェリーが10年でゼロになるなど、急速な衰退に直面しています。瀬戸大橋開通前から現在までの“失われた50年”を追います。

 かつて「四国の玄関口」として高松市とを結ぶ国鉄の鉄道連絡船「宇高航路」が発着し、造船業で発展を遂げた岡山県玉野市。瀬戸大橋の開通後は交通の要衝としての地位を失っていきますが、実は宇高航路も造船の衰退も、瀬戸大橋開通前、1970年代オイルショック後の造船不況から始まっていました。

 玉野などを拠点としていた当時の三井造船はオイルショック後、大型タンカーを中心に新造船需要が減って、大量キャンセルが発生。円高によって採算性が悪化する中で、鋼材価格の上昇までも追い打ちをかけ、赤字船が出る事態になりました。これに伴って玉野事業所は6号船台を廃止するなど生産設備を縮小するとともに、大幅な人員の削減を行います。

 また、1975(昭和50)年に山陽新幹線が岡山から博多まで延伸すると、観光客が福岡など九州北部へ流れるようになり、四国へ移動する手段も広島・三原経由を選ぶ旅客が増えてきたことで、宇高連絡船の利用者数は減少の一途を辿るようになります。

 そして1988(昭和63)年4月、瀬戸大橋が開業しJRの宇高連絡船が廃止されると、宇野駅は本四連絡の玄関口としての役割を終え、メインルートから外れました。

 人口減少と地盤沈下に悩む玉野市は観光客を誘致するためテーマパーク「スペイン村」を建設することを決定。宇野駅周辺の余剰となった国鉄用地を取得します。これにより駅舎、側線、連絡船の桟橋や可動橋といった宇高連絡船の時代に活躍していたものは解体され、ほとんど往時の痕跡は残っていません。

 スペイン村構想は、バブルが崩壊し平成不況に突入したことで資金調達ができなくなり、立ち消えになります。宇野駅前の土地は手つかずのまま残され、2005(平成17)年になってようやく三井造船、玉野市、岡山県などが出資する運営会社が解散し土地が売却されました。

 他方、3社が運航していた宇高航路の民間フェリーは、瀬戸大橋が開通した後も続けられ、2008(平成20)年までは1日100往復体制を維持していました。夜間運航も行っており、宇野港はまだ「24時間眠らない港」だったのです。

100往復のフェリーが消えた

 しかし、2009年3月から2011年6月にかけて高速道路の通行料金を土休日のETC利用に限って1000円にするという施策が実施されると、一気に瀬戸大橋へ利用者が流れてフェリーは大打撃を受けました。

 この「高速1000円」施策の直撃を受けた宇高航路のフェリー運航便数は減り続け、2012年10月には国道フェリーが運航を休止し宇高航路から撤退。最後まで残っていた四国フェリーも1隻5便体制になるまで追い込まれ、2019年12月をもって宇野―高松航路の運航を休止しました。

 今も直島などを経由すれば宇野から船で高松へ行くことはできますが、接続が良いとは言えず本数も少ないのが現状です。フェリーの撤退は、瀬戸大橋の高速道路を通行できない重厚長大物や特殊車両の輸送が大きく影響を受けています。

 地元の経済を牽引していた造船業も2000年代頃から復活の兆しを見せていたところ、台頭してきた中国や韓国の大規模ヤードに押された上に、リーマンショックが重なって受注が激減。さらに三井E&Sグループはインドネシアの火力発電所工事で巨額の損失を出すなど一段と経営が厳しくなり、2021年に三井E&S造船の玉野艦船工場で手掛けてきた艦艇・官公庁船事業を三菱重工業に譲渡しました。

「宇高航路は諦めていない」 明るい兆しを活かせるか

 玉野の造船は現在、護衛艦や巡視船などを建造する三菱重工マリタイムシステムズ玉野本社工場と、舶用エンジンを生産する三井E&S舶用推進システム事業部玉野工場に分かれています。

 こうして激動の歴史を歩んできた玉野市ですが、明るい要素もあります。三井E&Sの舶用エンジン事業は好調ですし、「電気運搬船」の開発や定置用蓄電池の製造などに取り組むスタートアップ企業「パワーエックス(PowerX)」は同市に国内最大級規模の蓄電池工場「Power Base」を建設中です。

 観光面では、宿泊施設の整備も進んでおり、2022年3月に玉野競輪場に併設したホテル「KEIRIN HOTEL 10」がオープンしました。また、“現代アートの聖地”で近年は移住希望者が増加している直島へはフェリーと旅客船が運航しており、瀬戸内国際芸術祭の玄関口として発展する余地はあるでしょう。

 玉野市は宇高航路について「経済活動、災害対応の観点からも地域に不可欠なインフラ」と位置付けており、運航再開を諦めていません。人やクルマを大量に輸送でき、環境負荷の軽減につながる船舶の活用が注目されている今こそ、宇野と高松を結ぶ航路について検討し直す時期が来ているのではないでしょうか。