今年1月25日、石川県の地元紙、北國新聞の1面にこんな見出しの記事が掲載された。

「輪島朝市 金石で復活」
「5月の連休目指す」

能登半島地震による大規模な火災で壊滅的な被害を受けた輪島朝市の店主たちが、110キロ離れた金沢市の金石(かないわ)港で「出張」輪島朝市を開催するという内容だ。被災からまだ1カ月足らず。復興の第一歩の象徴として他メディアでも大々的に報道された。

「出張輪島朝市」は、5月の連休を待たずに第一回目が3月23日に開かれた。約30店舗が並び、雨の中、約1万人以上が訪れ、大盛況だった。

「輪島朝市が本当に全国の皆さんから愛されていたんだなということを、改めて認識しました」

そう話すのは、実行委の一人で、朝市通りで食堂「のと×能登(のとのと)」を切り盛りしていた橋本三奈子さん(62)。東京都西東京市出身の元SE(システムエンジニア)で、2016年に輪島市に移住してきた。

出張輪島朝市の実現は、この人抜きでは語れない。

大手IT企業に25年勤めたバリキャリのSE

始まりは、1月6日に橋本さんが無料通話アプリ「LINE」で送った、1通のメッセージだ。

橋本さんと輪島朝市の店主たちとのLINEのやりとり=本人提供
(輪島が)『観光客』相手の商売ができるようになるのは、ずっと先。
建築業の人がいっぱい来る。大衆食堂が必要。その食堂を作りたいと思ってます
魚さばける人、料理できる人、みんなでやろう!

発災直後で、安否が確認できた組合員たちとのやりとりの中での発信だった。橋本さんのお店も、「朝市通り」にあったため全焼してしまったが、元日は、東京の実家で家族と過ごしていた。

橋本三奈子さんが切り盛りしていた食堂「のと×能登」があった場所=2024年2月7日

焼け落ちた朝市周辺の映像をテレビやインターネットでみて、朝市仲間が少しでも前向きになれることをしよう、東京からできることをしよう…と思っていたなかでのアイディアだった。「食堂計画」は実現しなかったが、職を失った店主たちの希望まで失わせたくない。「復興に向けて何かしたい」という思いは日に日に大きくなり、結果、金沢市での「出張輪島朝市」に向けて突き進むことになったのだった。

記者が避難先の金沢市内のアパートに取材に訪れた2月上旬は、ちょうど翌月の準備に取り掛かっていた真っ最中。約1時間半のインタビュー中に4度も電話が鳴り、そのたびに PCの画面を開きながら丁寧に答えていた。みな、輪島朝市の関係者からで、「出張」企画についての問い合わせを一手に担っているからだと橋本さんは苦笑いした。

8年前まで、自身が朝市の中心メンバーになるとは、夢にも思わなかった。


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