16日で新潟地震の発生から60年が経ちました。この節目の年に、能登半島地震が発生し、津波や液状化などの被害が繰り返され、改めて教訓を伝えていくことが求められています。

1964年6月16日、新潟地震。マグニチュード7.5。沿岸部を津波が襲い、さらに信濃川を遡上。拡大した液状化。県内で13人が犠牲になり、4万棟を超える建物に被害が出ました。

そして、この節目の年に発生した元日の能登半島地震。津波や液状化。被害が繰り返され、くしくも新潟地震が注目されることになりました。

16日、新潟市西区真砂4丁目では住民100人余りが参加し、自主防災訓練が実施されました。毎年この時期の訓練。節目の日に重なり、当時を知る人は記憶をよみがえらせていました。

「地面が紙のように揺れたなという感想と、石油タンクが燃えて煙が立ち上がってすごく怖かった思い出がある。」
「その時見たのが信濃川が萬代橋の方からグーっと津波が来て、両岸が川幅が広がるような光景を見たのを今でも覚えている。」

津波警報の発生を想定し、避難の手順を確認。
■真砂4丁目自治会 安宅光之会長
「とにかく高台へ津波が来たら逃げるんだと、年に1回頭に叩き込んで。」
■防災士
「避難行動を考える上ではどちらかというと早さを参考にして…。」

防災士がハザードマップを説明し、津波で想定される被害や地域を確認しました。新潟市江南区の天野地区では、16日は公園の草刈りなどのため住民が集まっていました。
地区全体で能登地震による液状化被害の対応を検討しています。新潟地震当時を知る人に、60年前の教訓は生かされたか聞くと…
■住民
「あんまり生かされてない感じだな…忘れたころにやってくるから。」

60年という時間は、当時の記憶や教訓を風化させていました。
同じく液状化被害が広がった新潟市西区の善久地区。
■自宅が被害にあった谷川直人さん
「もしかすると、今これから起きるかもしれないし、いつ起きるか分からないので毎日が心配です。」

周辺の宅地は、新潟地震後の1980年代に造成されました。しかし、実は旧河道と呼ばれる液状化しやすい土地で、住民は能登地震の被害をきっかけに知ることになりました。改めて教訓として、次世代に伝えていきたいといいます。
■自宅が被害にあった谷川直人さん
「新潟市でどのくらいまだその土地があるのか自分なりに調べて語り部として(伝えて)勉強したい。」