天皇陛下が英国オックスフォード大学に留学された1983年から85年の間、英政府は警護官2人を派遣した。そのうちの1人ロジャー・ベーコンさんは、即位した陛下との再会を楽しみにしていたが、2021年に75歳で他界した。妻モウリーンさん(70)が亡き夫の思いを語った。(編集委員 沖村豪)

 モウリーンさんが大切にしている写真がある。ロンドンの地下鉄に乗車された陛下とロジャーさんが写っている。混み合う車内で誰も日本のプリンスに気づいていない。「さりげなくそばに立つ夫を見上げるヒロ(称号「浩宮ひろのみや」に由来する陛下の愛称)の視線に互いの信頼の深さを感じる」一枚だ。

 ロンドン警視庁の「スペシャル・ブランチ(警備部門)」に所属したロジャーさんは、陛下の学寮の隣室に寝泊まりして任務に当たった。「ヒロに日本ではできない体験を積み、楽しい思い出を作ってほしい」とよく聞いた。そばで目を光らせるだけでなく、陛下の旅先の事前チェックや現地警察との連絡などの仕事もきっちりこなしていた。

 陛下は留学記「テムズとともに」で、研究史料に読みにくい文字があると、警護官が一緒に解読してくれたと明かされた。ロジャーさんのことだった。博物館を巡り、史料を集め、研究会史に寄稿するほどの歴史通で、「ヒロのガードに適役だ」とモウリーンさんは感じていた。「ヒロにパントのこぎ方を伝授した」と聞いたこともある。パントはテムズ川の水運や漁のため、中世に誕生した平底の舟。パントをこぐ陛下とロジャーさんのツーショットも残っている。

 20年に陛下の英国親善訪問が最初に計画された時、ベーコン夫妻は英政府の依頼で、陛下をお迎えするはずだったという。だが、コロナ禍で延期になり、翌年1月、ロジャーさんは心臓発作で他界した。パブに行くと「ヒロはビールをパイントで何杯も頼み、仲間とわいわいやっていた」と往時を懐かしんでいたが、再会はかなわなかった。

 モウリーンさんも留学中の陛下と会ったことがある。若くはつらつとした笑顔が印象的だった。あれから40年。夫婦で迎えられないのは悲しいが、「夫が守ろうとしたあの笑顔で、ハッピーな英国訪問にしてほしい」と望んでいる。