パリ五輪まで半年を切り、各競技で出場権を巡る争いが激しくなっている。東京五輪で初採用されたスポーツクライミングでは男子で27歳の楢崎智亜選手が2大会連続の出場を決め、17歳の安楽宙斗選手(千葉・八千代高)や女子で20歳の森秋彩選手(茨城県連盟)は初の大舞台に臨む。日本のクライミング界は若手の台頭が目覚ましい一方、現役引退後のセカンドキャリアは選択肢が狭いという課題を抱える。

 そこで、日本山岳・スポーツクライミング協会(JMSCA)は人生設計の幅を広げる一助になればと、スポーツ庁の支援も受けてビジネススクールを開講。引退後、幅広いテーマについて情報発信している元陸上選手の為末大さんが2年連続で講師を務めた。為末さんとJMSCAの丸誠一郎会長にアスリートのキャリアなどを語ってもらった。(共同通信=松下裕一)

 ▽「高見盛さん、桑田さんとキャリアについて話し合った」
 ―10代中心の受講者に対して、為末さんが伝えたかったことは。
 為末「人生で何かに夢中になる時間なんてないから、とにかくそれを楽しんでほしいという気持ちと、人生は長いので、競技人生が人生の一部という気持ちで、大きな視点で見てほしいということの二つですね。視野が広がる体験というのを、やっぱり早いうちになるべくたくさんしてほしいなと思う。それが世界とつながっている競技からもらえる一番大きなことじゃないかなと」

 ―為末さんを講師に招いた丸さんの思いとは。
 丸「企画に賛同いただいて興味を持っていただいた。アスリートとして今キャリアを持ってる人の話が一番、彼らの血となり肉となるなというのは実感しました。私個人もとてもプラスになりました。仮に今役に立たなかったとしても、将来役に立つかもしれないというのを(選手に)早く分からせてあげたいですね」

 ―為末さんは現役引退時に第二の人生をどう捉えていたか。
 為末「社会を知らなかった感じですかね。やっぱり(視野が)狭かったなという思いはすごくあります。当時にセカンドキャリアをみんなで考える会合を1年半くらいやっていて、相撲の高見盛(現東関親方)さんやプロ野球の桑田真澄さんら30人くらいで集まり、キャリアについて話して楽しかったですね。今回のビジネススクールに他競技の選手がいてもいいなとは少し思ったんですけど」

 ―他競技に広げることへの丸さんの考えは。
 丸「将来的にスクールの輪が広がればいいかなと。一般的にはスポーツマネジメントが(アスリートによる学びの)ゴールにあることが多いんですけど、私のゴールとは違うんです。あくまでも子どもたちが引退後に何をするかということをスポーツじゃない世界で選択肢として与えたいです」

 ▽「五輪競技でなくなっても、何かを目指せる文化をつくっていく」
 ―現役選手を見て、為末さんが感じることは。
 為末「今の選手たちはやっぱり自立してる気がしますよね。陸上だと北口榛花さんがチェコに1人で行ってコーチを見つけて、トレーニングをして世界一になった。僕らの世代だとあまりなかったような例が出てきて、素晴らしいなと思います。私は本当に競技一本で来て、いろんな出会いがなければそれだけになっていた可能性は結構あった人生だったですね」

 ―ビジネススクールに対する丸さんの評価は。
 丸「スピード競技で活躍する18歳の林かりん選手がパソコンソフトの資格を取得しました。20時間以上も集中的に勉強したらしく、彼女らの集中力って普通じゃないんですよ。徹底的にやって、そういう機会を得られたのは一つの成果かなと。スクールも3年目に入るので次のステップが必要で、新たな出会いを考えていかないといけないと思っています」

 ―クライミング界に対する為末さんの印象は。
 為末「すごく世界的な競技という印象があります。正直、国内より海外の方が盛り上がっている競技なのかなという気がします。そのことがキャラクターとして出てくるといいなと。国際的な競技として選手たちの発言がすごく評価されて(ビジネススクールの)卒業生のブランドができると面白いですね」

 ―国内でもっと盛り上がれば、競技団体の底上げにつながる。丸さんの組織強化への考えとは。
 丸「マイナー競技が五輪競技になりましたけど、いつまでも続くわけじゃないんですよ。五輪競技じゃなくなった時に、目指していた選手はどうなっちゃうか。お金が無くなり、露出も減る。それではいけない。選手が人生を傾けたことによる成果を残したいし、何かを目指せる文化をつくっていかないといけないというのはありますね」

 ▽「日本のスポーツは縦長の三角形。競技の壁を外して好きなことをさせる」
 ―元選手の立場から、為末さんが考える国内競技団体の理想像とは。
 為末「スポーツは三角形で表現すると、トップの選手を引き上げることと、裾野を広げることがあるんですけど、日本のスポーツは裾野を広げると外の人に良い効果を与えるという部分が弱く、三角形がどんどん縦長になるんですね。内と外をきっちり分けようともします。大事なのは境目を曖昧にして、どう運営していくか。これを担う人材がビジネススクールから出てきてほしいなと。(少子化の)子どもたちの取り合いをするんじゃなくて、競技の壁を外して、自分に合うものとか好きなことをさせる文化にしなきゃいけないですね」

 ―為末さんの意見を丸さんはどう生かせるか。
 丸「子どもにクライミングの壁を触る機会をもっと広げたい。今はクライミングジムに頼っている部分があるので、協会としてサポートできれば理想的なんですけど。基本的に(ジムは)民間企業で、小さな自営業者としてやっている方々が多いので、サポートしていかないといけない。何とかできないかなということは常に考えていますね」

 ―クライミングは若手が続々と世界で活躍している。為末さんも若い頃から注目を浴びたが、選手として大事なことは。
 為末「幼少期に注目を集める競技はバランスの取り方がすごく難しくて、宝くじに当たった人の心構えみたいな本がいるんだと思います。親からすると、子どもがいきなりすごくなってどうしていいか分からないし、守り方も分からない。だから、まず何が起こるんですよ、みたいなことが一通り分かる事が大事。選手自身も長い目線で見ていくことがとても大切ですね。競技人生が長くなると、モチベーションが消えたら終わり。競技をやりたいのか、やらされているのか。最初から楽しんでやる人間が強いですよ」

 ―“金メダルを取ります”などとインタビューで公表する際の心境は。
 為末「自分にはっぱをかける側面もあるし、言い過ぎちゃったなというのもありますよね。ちょっと自信ないけど、つい言っちゃった、みたいなのもあるし。自分は比較的できそうなことを言う感じだったんですけど、選手が追い込まれるのは、自分ができそうなことと世間の期待のずれなんですよね。期待値を上回る状態を保つ、この期待値コントロールがすごく重要ですね。私は五輪のメダルは欲しかったけど取れませんでした。陸上はしつこくやったなという印象があって、『ああ面白かった』という感じはありました。それは競技をやりながら周囲からいろんな刺激を受けて、引退後の人生で模索しながらやりたい事が定まってきたからだと思います」