川勝平太・静岡県知事が辞職を表明し、知事選は5月9日告示、26日の投開票と決まった。4月18日現在、元総務官僚で副知事を務めた大村慎一氏と、前浜松市長の鈴木康友氏が正式に立候補を表明している。

 ***

 静岡県庁をよく知る地元関係者は、以下のように指摘する。

「国民の大半は今、『リニア建設はどうなる?』という観点で注視しています。リニアだけでなく静岡県の未来を考えるためにも、改めて川勝さんがリニア建設にどのような姿勢で向き合っていたのか、どのような本音を持っていたのか総括する必要があるのではないでしょうか」

 川勝氏は2009年7月の知事選で初当選を果たした。そして当初はリニア建設に賛成していると誰もが思っていた。事実、そうした発言が当時の新聞記事に残されている。

 朝日新聞の静岡県版は2010年の3月、連載企画「攻防 知事との距離」をスタートさせた。26日の朝刊に掲載された第1回の記事では、浜松市で選出された県議の後援会に川勝氏が出席し、「天竜川を世界文化遺産にする運動を起こし、リニア新幹線が走ることが日本のためになる」と熱弁を振るう姿が記されている。

 ところが大井川の流域住民から「リニアの工事で、川の流量が減るのではないか」との懸念が示されると、これに川勝氏は反応を示すようになった。2014年8月25日の記者会見で、川勝氏は南アルプスのトンネル工事の着手は当面、認めないとの考えを示し、「工事を止めるくらいの覚悟だ」と語った。

“政治家”だった川勝氏

 この発言を朝日新聞の静岡県版は《リニア事業化に理解を示す川勝知事がJR東海にこれほど強い表現で迫るのは初めて》と驚きのトーンで報じた(註1)。担当記者が言う。

「今では様々な対策が準備されており、トンネルの工事を進めても大井川の流量が減らないことが科学的な検討を踏まえて予測されています。水資源の議論は詰めの段階なのです。しかし、当時は不安視する県民も少なくありませんでした。朝日新聞の記事を改めて読むと、2014年8月の時点で川勝氏は《リニア事業化に理解を示す》と考えられており、さらに『工事を止める』発言が意外なものとして受け止められたことが分かります」

 では時間を18年10月まで一気に進めてみよう。川勝氏は19日の記者会見で、JR東海が2027年のリニア開業を目指していることに、「静岡県が開業計画を考慮すべき特段の理由はない」と突き放した。この時点では完全に「工事を止める」モードに入っていたわけだ。

「川勝さんとリニアと言えば、記者会見での“迷走”が話題を集めました。最近では地元記者の質問に正面から答えず、支離滅裂な発言も目立ち、地元メディアの記者さえ呆れていました。しかし、川勝氏は知事として4選を果たしました。なかなかできることではありません。学者から知事に転じましたが、私は政治家としての資質をかなり持っていた人だと思っています。もっと言えば、人の心を掴むのが巧みでした」(前出の関係者)

実は実績のない知事

 会見の迷走さえなければ、川勝氏は知的でスマートという印象を持っていた人は、かなりの数になるだろう。格好いいと評価する人がいても不思議ではない。声も張りがあって、一種の美声と言える。関係者が知事選を見ていると、女性票を確実に掴んでいることは明らかだったという。

「知事の懇親会の様子を聞いたことがありますが、川勝さんの周りは女性が多く集まっていたようでした。地元経営者の妻にもファンが多かった。リニアの問題を離れると、サービス精神が旺盛で、話も上手い。元大学教授というイメージにぴったりの、知的で聞き手を魅了する会話で楽しませました。さらに政治家としての“嗅覚”もあり、リニアに反対すると自分の票田が大きくなると直感的に分かっていたのだと思います」(同・関係者)

 川勝氏の「工事を止める」という姿勢を「開発ではなく環境を重視している」と好意的に受け止める県民は決して少数派ではなかった。「JR東海といえば日本でもトップクラスの大企業なのに、憶せず噛みつく川勝知事は大したものだ」と評価する声もあったという。

 別の関係者は「冷静になって川勝知事のリニア発言を振り返ってみると、イメージほど水資源や環境を重視していたわけではなかったことに気づきます」と言う。

突然の「ルート変更」発言

「ハコモノの建設でも工場誘致でも、知事として実績を残すことは大変でしょう。ところがリニア反対は口で言うだけですから非常に楽ですし、何よりコストはゼロ。おまけに全国ニュースになるので発信力は絶大です。実は凡庸で確たる実績もない知事だったのに、リニアに反対したことが最大の成果だと受けとめられてしまった。諺の『悪名は無名に勝る』が現実のものとなり、有権者の支持を得たのではないでしょうか」

 とはいえ、常に反対、反対、だと、さすがに県民からも徐々に疑問の声が出る。特に最近は、大井川の流域自治体の首長がトンネル工事に理解を示すなど、川勝氏の“孤立化”も目立っていた。

「改めて知事としての発言を精査してみると、川勝さんの本心はルート変更であったことが垣間見えます。例えば2020年7月、川勝さんは国土交通省の藤田耕三事務次官と静岡県庁で会談しました。その際、『ルート変更もやむを得ないとの議論がある』と発言し、受けとめを問いました。藤田事務次官は『ルート変更の議論は全く出ていない』と一蹴し、確かにそんな議論が起きたことはなかったのですが、その後も川勝さんはルート変更にこだわりを見せたのです」(前出の記者)

 月刊誌・中央公論の2020年11月号に、川勝氏は『静岡県知事、国策リニア計画にもの申す』を寄稿。その中では南アルプスを避ける迂回ルートへの変更を主張した。

ルート変更の“執念”

 21年6月、4選を果たした川勝氏は記者会見で「自民党と協力してルート変更や工事中止を申し入れる」と発言。自民党の推薦を得た対立候補を破った直後の発言だったため、周囲は相当に困惑した。とはいえ、彼の本音が「ルート変更」であるのは明らかだった。

「関係者の多くが驚いたのが2022年6月、静岡県が『リニア中央新幹線建設促進期成同盟会』に加盟申請を行った時です。当時はリニアと関係の深い9都府県の知事などで構成され、その時も今も愛知県の大村秀章知事が会長を務めています。川勝さんがルート変更の発言を繰り返していたことは知られていたので、申請を受けた愛知県は何と『貴県の認識を確認したい』と静岡県に文書を送り、『現行ルートの整備を前提に、スピード感を持って静岡県内の解決課題に向けた取り組み』を進めるのかと問いただしたのです」(同・記者)

 まさに“踏み絵”を迫った、異例の文書であることは言うまでもない。これに川勝氏は「現行ルートの整備を前提に取り組みを進める」と同意した。これでルート変更は主張しないと約束したはずだったのだが、2023年6月、産経新聞の報道で川勝氏の“二枚舌”が発覚する(註2)。

 22年の年末、川勝氏は国交省幹部と非公式に会談。現行ルートでは長野県飯田市にリニアの停車駅を設置することになっているが、これを北に100キロ離れた松本市に移し、静岡県内を通らないルートにしてほしいと要請したことが明らかになったのだ。

非現実的なルート変更

「これでは愛知県の問い合わせに嘘の返事をしたことになります。こうした報道について記者から質問されると、川勝氏は、『現行ルートを前提にして、専門部会、有識者会議で議論していただいている』と話をしてはぐらかしていました。」(同・記者)

 だが、その後も川勝氏はルート変更について“自説”を展開した。特に4月5日の中日新聞は「『ルート変更余地出た』辞職表明直前 牧之原市長に」の記事を掲載。牧之原市の杉本基久雄市長に「ルート変更の余地が出てきた」という主旨の発言を行ったと報じた。

 川勝氏が主張したルート変更案は、全く非現実的なものだと誰でも分かる。専門家の目から見ると、現実性だけでなく倫理的な問題もあるという。

 そもそもルートを正式に決めたのはJR東海ではない。2011年5月、国の交通政策審議会の「中央新幹線小委員会」が議論を重ね、現行ルートが適当だと答申した。

「つまりルートを変更するのは、時計の針を少なくとも2011年5月まで戻すことを意味します。新ルートの工事は可能なのか、環境アセスメントも何も手つかずです。本気でルート変更に挑めば、開業が大幅に遅れるのは言うまでもありません。おまけに大井川の流量問題など懸念が県民から訴えられるたび、関係者は科学的な知見から地道な議論を繰り返し、一つ一つ丁寧に解決してきました。安全で安心なトンネル工事が静岡県内で実現する可能性が高まっているのに、それを白紙に戻すという考えも理解できません」(同・記者)

次の知事に求められること

 NIMBYという言葉がある。Not In My Backyardの頭文字を取った言葉で、「ウチの裏庭ならイヤ」という意味になる。要するに施設の必要性は認めても、「ウチの近所はイヤ」という地域エゴイズムを表す。

「川勝さんは『リニア工事は環境に大きな悪影響を与える可能性がある』と主張し、それを根拠に静岡県内での工事実施を認めないという姿勢だったはずです。にもかかわらず、科学的な議論も無視して川勝さんはルート変更を提案しました。これに私は強く引っかかりました。そもそも悪影響などないわけですが、仮に問題のある工事だとしても、静岡県内で実施されなければ構わないと川勝さんが考えているように見えたからです。もしそうなら、これこそNIMBYの考えそのものです」(前出の関係者)

 自分に利のない工事は長野県と松本市に押し付けてしまえばいい──これが川勝氏の主張だと指摘されても仕方ない状況だったのだ。

「知事を辞めた川勝さんは、このようなエゴイズムを隠し持っていたと最後に垣間見えた気がします。倫理的には非常に問題でしょう。次の知事は、このような誤った地域エゴイズムの持ち主ではなく、本当に静岡県と日本の未来を考えられる人が就任すべきだと思います」(同・記者)

註1:知事「止める覚悟」 リニアトンネル工事(朝日新聞・静岡県版:2014年8月26日)

註2:経済インサイド 川勝知事がリニア開業10年以上遅れる案、非公式打診 品川−名古屋間の先行開業断念、静岡県内通らないルートも(産経新聞・電子版:2023年6月2日)

デイリー新潮編集部