「陛下と雅子さまは、大きくはないがゆっくりと聞き取りやすい口調で話しかけてくださった」と、両陛下と言葉を交わした店主の女性は話す=2024年4月12日、石川県、JMPA

 天皇、皇后両陛下は12日、能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県を再び訪れ、被災した人たちを見舞った。地震の傷跡も生々しい商店街を歩いた天皇陛下は、再開した美容室からガラス越しに手を振る町の人たちに気づき、突如ルートを変えて雅子さまと一緒にドアの前に立った。

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 眼の前に立っていたのは、天皇陛下と雅子さまだった。

「開いたドアの真ん前、数センチのところに天皇陛下と雅子さまが立っていらっしゃって……。おふたりが歩いてこられた店の前の道路は、地震でデコボコして瓦礫もあるし……と頭が真っ白になりました」

 そう話すのは、天皇陛下と雅子さまがお見舞いに訪れた穴水町で、美容室を経営する女性(49)だ。
 

地震でひび割れた道路を確かめるように歩く両陛下=2024年4月12日、石川県、東川哲也撮影(朝日新聞出版/JMPA)

 能登半島地震で20人が命を失い、6千棟あまりの建物が被害を受けた同町。東京から特別機と自衛隊のヘリコプターを乗り継いで到着した両陛下は、多くの建物が倒壊した商店街で、吉村光輝町長から被災状況などについて説明を受けた。

 女性の美容室も、店の大きな窓ガラスが割れるなど、少なからぬ被害が出た。店で営業ができなくても、町の人たちのカットができないかと避難所に足を運んだが、設備がない場所ではできることに限界もある。避難所では何度も「店を開けてほしい」と声をかけられた。

 家屋や店は壊れたまま、コンクリートの瓦礫が散らばる町。それでもかつての日常をわずかでも取り戻したいと、水道が復旧した2月1日から美容室を再開することにした。
 

倒壊した建物を前に説明を受ける両陛下=2024年4月12日、石川県、東川哲也撮影(朝日新聞出版/JMPA)

 通りに面した大きなガラスは割れたまま。修理の依頼はしているが、なかなか順番が回ってこず、ブルーシートでふさいで雨風をしのいでいる。それでも、

「美容室の青と赤、白のサインポールが回っていると、ホッとする」

 そんな町の人の言葉を励みに、営業を続けてきた。
 

倒壊した建物を前に説明を受ける両陛下=2024年4月12日、石川県、JMPA

■ドアを開けると陛下と雅子さまが

 天皇陛下と雅子さまが町を訪れた日も、馴染みのお客の髪をカットしていた。ドアに近い大きなテーブルには、同じ商店街で洋服店を営む母娘や店の大家さん夫婦が座り、「天皇陛下と雅子さま、見えるかな」と話をしていた。

 吉村町長の説明を聞きながら、陛下と雅子さまが歩いてきた。両陛下は、店の前にある横断歩道を渡り、バスに乗る予定だった。

 近づいてくるおふたりに向かって、店内からガラス越しに、お客たちが大きく手を振った。それに気づいた様子のおふたりは町長に何か話しかけ、町長もうなずきながら店を指さした。

 そして、町長が美容室に歩み寄ってきて、引き戸のドアを開けた。

 ドアの数センチ先には、天皇陛下と雅子さまが立っていた。

 カット中だった店主の女性も、店内でベンチ椅子に座っていた大家さんや知人らも、意外な出来事にそのまま動けなかった。
 

■おふたり同時に「大丈夫でしたか?」

「大丈夫でしたか?」

 天皇陛下と雅子さまの声が、重なった。

 我に返った店主の女性は、両陛下が立つ店のドアまであわてて駆け寄った。

 雅子さまは、大きくはないが、ゆっくりと聞き取りやすい声で、たずねた。

「いつから(お店を)再開されているのですか」

 2月にお水が来たので、2月から再開しています。答えた女性に、雅子さまはこう返してくれた。

「大変でしたね。身体に気をつけてやってください」

 雅子さまの隣で、陛下も「うん、うん」といった様子でうなずいている。

避難生活が続く被災者と、目線の高さを合わせて話をする両陛下=2024年4月12日、石川県、JMPA

 女性はふと、両陛下が歩いてきた店の前の道路に視線を落とした。路面は地震でデコボコ。端っこに寄せてはいたが、コンクリートの瓦礫も残っている。

 もともと両陛下がこの美容室に立ち寄る予定はなかった。だから、客が足をひっかけないように片づけてはいたものの、範囲を広げた掃除をしていなかったのだ。

「足元が悪いところに……」と申し訳なさがこみ上げてきたが、陛下も雅子さまも気にする素振りはない。おふたりは、呆然となって椅子から腰を上げられない客たちに向かって前かがみになりながら、話しかけていたという。
 

■心配そうな表情の陛下と雅子さま

 あまりに突然の出来事だったため、女性はおふたりとどんな会話をしたのか、詳しく覚えていない。

 しかし、陛下と雅子さまがずっと心配そうな表情で寄り添うように話しかけてくれたこと、そして自分たちが緊張しないよう、やさしい口調だったことは記憶しているという。
 

 両陛下が訪れた商店街では、倒壊した店舗の撤去作業などが始まった。

「もう高齢だから、店は建て直さない」「このまま店はやめる」。そんな声ばかりが耳に届く。壊れた建物が撤去されたら、土と道路しかない町になるだろうと感じている。

「殺風景になった土地で、自分の美容室のネオンポールだけが回る風景を想像すると、さみしいです。でも、両陛下がこの町の人たちに会って、共感し、寄り添ってくださった。頑張ろう。前を向いていこう。そう思うことができました」

 店主の女性は、明るい声でそう話した。
 

犠牲者が出た場所に向かって深く頭を垂れ、祈りを捧げる両陛下=2024年4月12日、石川県、東川哲也撮影(朝日新聞出版/JMPA)

 穴水町と能登町を訪れた両陛下は、避難所での生活を強いられている被災者の声に耳を傾け、津波で住宅が流され、死者が出た地区では深く頭を下げ、祈りを捧げた。

 この日、おふたりが皇居に到着したのは夜10時ごろだったという。

(AERA dot.編集部・永井貴子)