日本相撲協会は16日、能登半島地震の被災地支援として、62年ぶりの勧進大相撲を東京・両国国技館で開催し、約7000人が集まった。2月に故郷の石川県を慰問し、春場所で優勝争いした幕内・大の里(23)=二所ノ関=らには大きな歓声が送られた。親方、力士ら協会員一丸で被災地復興に取り組む姿勢を大相撲担当・山田豊記者が見た―。入場料収入や来場者からの募金は石川県に全額寄付される。

 午後1時の開場から、両国国技館は大盛況だった。62年ぶりとなる勧進大相撲の開催。来場者の長蛇の列を大の里、遠藤ら能登半島地震で被災した石川出身力士らが出迎えた。土俵上とは違い、笑顔を浮かべた大の里が「こういう場を協会が設けてくれたのはうれしい」と言えば、遠藤も「石川から来たとか、能登から来たよという声もいただいた。感謝しかない」と実感を込めていた。

 4月の春巡業では当初、石川・七尾市での開催予定もあったが、震災の影響で中止を余儀なくされた。代わって相撲協会内から「何か被災地支援はできないか」との声が上がり、3月12日の開催発表にこぎつけた。この日、春日野事業部長(元関脇・栃乃和歌)は「勧進大相撲による寄付が、被災地の一日でも早い復興に少しでも役立てるように祈念します」と協会を代表してあいさつした。

 2月6日、大の里、遠藤、輝らの避難所慰問を同行取材した。石川・内灘町、七尾市、穴水町と被害の大きな地域に行けば行くほど、力士たちの表情もこわばった。大の里は「実際自分の目で見た能登は衝撃だった」と漏らした。それでも、疲弊しているはずの被災者が温かく歓迎してくれた。「たくさんのパワーを与えるはずが、逆にみなさんに元気をもらえた」と回想。いまだ避難所で生活する祖父・坪内勇さん(75)への思いも募った。

 江戸時代にも開催されていたという勧進大相撲だが、“令和版”は防災意識への高まりも感じた。館内では防災用品も販売された。横綱・照ノ富士の土俵入りから、往年の名力士らのOB戦まで普段は見られないイベントも多かった。協会員一丸で取り組んだ復興への一大イベントだった。

 最後に大の里が感謝を込めて言った。「被災地には本場所で勝つことで元気を届けられる」。夏場所(5月12日初日)は新三役が濃厚。この日と同じ国技館の土俵で負けられない理由ができた。(山田 豊)

 ◆勧進大相撲の主な内容

 ▽開場、関取衆が館内でファンサービス。

 ▽春日野事業部長(元関脇・栃乃和歌)や石川県、富山県出身の関取衆らが土俵に立ちあいさつ。

 ▽のど自慢、初っ切り(しょっきり=禁じ手などをおもしろおかしく紹介するもの)、相撲甚句(じんく=地方巡業などで力士が披露する七五調の歌)。

 ▽親方衆のOBによる土俵入り、取組。

 ▽横綱、幕内らの土俵入り。

 ▽関取衆の取組。